「小学生の子どもが、ゲーム機を買うために1万円を手に入れたいと思った。2週間神に祈りつづけた。『神様、私に1万円をください!』。しかし、何も起こらなかった。子どもは、手紙を書くことにした。あて名は『神様』。郵便局員は少し考えてから、気を利かせて、手紙を総理大臣に送った。手紙を受け取った総理大臣は、その手紙を読んで子どもの気持ちに心を打たれて500円を送ることにした。子どもに1万円は多すぎると思ったからだ。500円を受け取った子どもは、早速礼状を書くことにした。『神様、ありがとう。でも、僕は1万円をお願いしたのに500円しか入っていませんでした。手紙の送り元が永田町になっています。政府のお役人さんが私の9500円を税金で持っていってしまったのでしょうか?』」
これはジョークですが、神様の祈りの答えについて教えてくれる話です。神様は、どんな祈りにも答えてくれます。間違いありません。しかし、必ずしも祈ったとおりになるというのではなく、神様が一番いい答えを与えてくれるのです。
子どもがTVの料理番組を見て、親に「包丁を買ってほしい」とねだっても、賢明な親は言われたまま包丁を買うのではなく、おもちゃままごとセットを買い与えるでしょう。しかし、子どもが調理師専門学校を卒業し、自分の食堂を持つようになったら、お祝いに、最高の包丁のセットを買ってあげることでしょう。
神様の祈りの答えは
(1)「待て!」
(2)「今は時ではない!」
(3)「方法が間違っている!」
(4)「動機が間違っている!」
などの「NO!」の答えが返ってくることがあります。また、「沈黙」という答えもあります。神様は一体どこへ行ってしまったのだろう?神様は私を見捨てたのだろうか?神も仏もあるものか!?神様の沈黙に耐え切れずに、信仰心を失ってしまう人もいます。
神様は、祈ったとおりに答えて下さることも数多くありますが、祈ったとおりに答えて下さらないこともあります。しかし、それにもかかわらず、神様は私たちの全ての祈りに答えて下さるのです。
あとで振り返ってみたら、むしろ、祈ったとおりに答えて下さらなかったことに感謝することがよくあるものです。もし、私たちの願ったとおりに答えられたとしたら、我がままになったり、傲慢(ごうまん)になったり、人の痛みが分からない人になる可能性があります。また、祈ったとおりになったとしたら、とんでもないことが起こるかもしれません。人は自己中心であり、「他の人はどうであっても、自分だけは良い思いをしたい!」という思いが根強くあるからです。神様は、誰か一人だけの神ではなく、全人類の神です。
神様は、祈ったとおりに答えてくれなかったとしても、その祈りはすべて答えられています。神はあなたを愛しておられます。神は良いお方です。神は、永遠という視点から見て一番良いことをして下さるからです。
最後に、アメリカ南北戦争で負傷した南軍の兵士が、収容先の病院の病室に残した詩で、現在、ニューヨーク州立大学病院物理療法リハビリテーション研究所の受け付けの壁に展示されている詩を紹介します。
「苦難にある者たちの告白」
大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと 弱さを授かった
より偉大なことができるように 健康を求めたのに
より良きことができるようにと 病弱を与えられた
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるように 命を授かった
求めたものは一つとして 与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず 心の中の言い表せない祈りは 全てかなえられた
私はあらゆる人の中で 最も豊かに祝福されたのだ
私もこの詩に同感です。神様は必ず祈りに答えて下さる方です。あなたは誰よりも祝福された人です。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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