80:20の法則は、イタリアの経済学者パレート(Vilfredo Federico Damaso Pareto)が発見した経験則です。何度か取り上げましたが、経済において、全体の数値の大部分(80%)は、全体を構成するうちの一部(20%)の要素が生み出しているという考えです。これは、経済以外にも自然現象や社会現象などのさまざまな事例に当てはめられることがあります。
私の性格もあると思いますが、携帯や音楽プレイヤー、電動自転車や充電式掃除機など電気製品を充電する際には、きっちり0まで使い切って、満充電をしていました。iPhoneのバッテリーは500回くらい使えるそうです。使える回数が決まっているなら、できるだけ0まで使い切って、満充電することを繰り返した方が長持ちすると考えるのが自然です。ところが、20%になったら充電を始め、80%になったら充電をやめて使うのがいいという話をあちこちで聞いてショックを受けました。しかも、そういう使い方をした方が長持ちするそうです。20%になったら充電を始め、80%になったら充電をやめて使う。これが、今日取り上げたかった80:20の法則です。
パレートの法則とは全く意味合いが違いますが、ポイントは、今まで「これが正しい!」と思ってやっていたことが、実は、「間違っていた!」と知らされるということがあるということです。昔は、コーヒーを飲み過ぎると体に良くないとよく言われていましたが、最近では、コーヒーは体によいといわれます。もちろん、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ですが、がん予防につながるともいわれています。
私は、「牛乳をたくさん飲むと背が高くなり、丈夫な子に育つ」と聞かされて育ちました。中学生になると、毎日牛乳パック一本以上は飲んでいました。ところが、牛乳は体によくないという言葉をたびたび聞きます。確かに、「動物の母乳をなぜ人間が飲むのか?」と問われたら、「そうですね」と返答せざるを得なくなります。賛否両論がありますが、今までいいと思って一生懸命飲んでいた牛乳が、突然、「体に悪いから飲まないほうがいい!」といわれたら、青天の霹靂(へきれき)です。
聖書は、人間はアダムとエバの子孫であり、アダムとエバが罪を犯したので、すべての人は生まれながら罪人であると語ります。私は、両親がクリスチャンであったため、時々聞かされましたが、普通の日本人はびっくりする内容だと思います。
ある人は、「私は日本人ですから仏教を信じています。外国の宗教は必要ありません」といいます。しかし、仏教も外国から入ってきた宗教です。今まで慣れ親しんだ文化、宗教の方が肌に合うことは確かです。しかし、そういうことよりも、「何が本当なのか?」の方が大切なのではないでしょうか。使徒パウロは、外国で次のような説教をしました。
「私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちの息と万物とをお与えになった方だからです。神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです」(使徒17:23~28)
「もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです」と語りました。
iPhoneの充電の仕方、コーヒーや牛乳が体によいかどうか?それも大切なことかもしれません。しかし、もっと大切なことは、今まで伝えられ聞かされてきたことと違うかもしれませんが、聖書の言葉を、自分で探求し、それが本当かどうかを調べてみられたらどうでしょう。天地創造、キリストの処女降誕と復活など、人間の理性では信じ難いことが聖書には書かれています。聖書の言葉は、大嘘か?真理か?そのどちらかです。
私は、人生に絶望し、行き詰ったときに、聖書を通してキリストと出会いました。聖書を勉強して、頭で納得したからではなく、キリストと出会って、この方が私の救い主だと直感的に分かりました。その日から、信仰を持ったことで心の中に戦いが生じたことはありますが、神の存在を疑ったことはありません。
こういう出会いをする人もたくさんいますが、勉強して、納得して洗礼を受ける人もいます。もちろん、結論として、「私は聖書を信じない!」という人もいます。また、「聖書は好きだけど、キリスト教徒が嫌いだ!」という人もいます。どういう結論になってもいいですが、食わず嫌いにならないで、向き合ってもらいたいです。
みなさんにとっての「80:20の法則」はどんなものがありますか?ずっと「これが正しい!」と思っていたのに、ある日、「間違っていた!」というものはあるでしょうか?もしあるとしたら、コメントやメールで教えてください。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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