日本キリスト教団出版局から出ている『日毎の糧』に従って聖書を読んでいます。8月21日は、使徒言行録21章27~36節でした。
七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」 彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。
彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、守備大隊の千人隊長のもとに届いた。千人隊長は直ちに兵士と百人隊長を率いて、その場に駆けつけた。群衆は千人隊長と兵士を見ると、パウロを殴るのをやめた。千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じた。そして、パウロが何者であるのか、また、何をしたのかと尋ねた。しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた。パウロが階段にさしかかったとき、群衆の暴行を避けるために、兵士たちは彼を担いで行かなければならなかった。大勢の民衆が、「その男を殺してしまえ」と叫びながらついて来たからである。(使徒21:27~36)
扇動する人と扇動されやすい群衆がいます。扇動する人がパウロについて挙げた罪状は、「民と律法と神殿を無視することを教えている」でした。イエスに対して挙げられた罪状も「律法と神殿を蔑(ないがし)ろにする」ことでした。パウロもイエスと同じ罪を着せられたのでした。
パウロのことでエルサレム中が大混乱に陥った直接の原因は、「パウロが異邦人を神殿の中に連れ込んだ」ことです。けれどもこれは事実誤認。パウロがエフェソ出身のトロフィモを連れてエルサレム市内を歩いていたのが目撃されたので、パウロを神殿内で目撃した者が(誤ってか意図的にか)「トロフィモも一緒に神殿内にいる」と拡散したのです。
当時、異邦人が「異邦人の庭」と呼ばれる広い外庭を越えて神殿内に入ることは、神殿を汚す重大事件でした。トロフィモが本当に神殿内に入ったかどうかの確認をまたず、パウロは捕らえられ神殿外に引きずり出され、神殿のすべての門が閉鎖されました。
使徒言行録を読んでいてしばしば遭遇することは、パウロの福音宣教を妨げるユダヤ人と、パウロを救い出す異邦人の役人です。ユダヤ人の偏狭さは、本来の神の恵みの豊かさを妨げるものとなってしまっていました。神はアブラハムと契約を結び、「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(創世記12:3)と言われましたが、ユダヤ人はユダヤ人以外の地上のすべての氏族を祝福から閉め出しました。
エルサレム神殿には、本来の神殿の外側に「異邦人の庭」があり、そこまでは異邦人が入ることは許されていました。これはイドマヤ人であるヘロデ大王が、自分が修復した神殿の壮大さを異邦人にも見せてやろうということだったようです。しかし、その場から礼拝する異邦人もいたようです。フィリポから洗礼を受けたエチオピアの宦官(かんがん)もその一人でした。つまり、異邦人ヘロデの自己顕示欲さえも神に用いられ、伝道に役立っていました。
話が横にそれましたが、異邦人が神殿内部に入ったというデマで大混乱になり、パウロが殺されそうになったとき、パウロを救出したのは守備大隊の千人隊長率いるローマの軍隊でした。別にパウロを救出するために出動したわけではありません。任務に基づく治安出動です。だからパウロを「救出」したのではなく、混乱の原因と思われる男を「確保」したまでです。隊長はパウロを取り調べなければならないので、ユダヤ人の暴行からパウロを引き離したのです。結果的にパウロはローマ軍によって救われました。
この時代、キリスト教はまだ成立しておらず、ユダヤ教の一派でしたから、ユダヤ人とパウロの争い(パウロは争うつもりではなかったが)はユダヤ教内部のことです。しかし、こうした事柄に正しく対応できたのが異邦人・異教徒であったということは、何とも皮肉なことです。しかし、ユダヤ教の中にも冷静な人がいなかったわけではありません。まだパウロがガマリエルという律法学者に律法を学んでいたころですが、ペトロたちが大祭司たちに捕らえられて裁判にかけられたとき、ガマリエルはこう言いました。
あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。(使徒5:38~39)
ところがガマリエルの弟子パウロは、イエスを信じる人々を迫害しました。ユダヤ教の大多数は偏狭な正統主義に凝り固まっており、パウロもその急先鋒(きゅうせんぽう)だったのです。
イエスはどうだったでしょうか。マルコは次のように書いています。
ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」 イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」(マルコ9:38~40)
キリスト教にはなぜ多くの教派があるのかと問われることがありますが、イエス自身が容認していたと受け取ることができます。
イエスにこのように言われたヨハネは、次の主の言葉を記しています。
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネ10:16)
現実には多くの群れが存在しています。けれども、どの群れの羊もイエス・キリストの声を聞き分けることができる。最終的には一つの群れとなるという約束が与えられ、その希望をもって、諸教派・諸教団およびそこに属するクリスチャンとの交わりがあります。
最後に18世紀の英国の伝道者、ジョン・ウェスレーの言葉に聞きたいと思います。ウェスレーは一方では理神論と、他方では予定論と厳しく戦った神学者ですが、主義主張の異なる信仰者を否定することはありませんでした。彼は「カトリックな精神」という説教の中でこう述べています。ここで言う「カトリック」とは、現在のローマ・カトリック教会のことを指すのではなく、本来の「普遍・公同」という意味を指す言葉です。
カトリックな精神の所有者とは、次のような人物である。彼は、すでに述べられたような仕方で、その心が彼の心に対して真実であるすべての人々に、彼の手を与える。彼は、神からの賜物を、どのように尊重したらよいか、また、そのためにどのように神を讃美したらよいかを知っている。その神からの賜物とは、神の事柄を知るということに関して彼が持っているすべての利点、および、神を礼拝する其(そ)の聖書的な方法、および、とくに、彼が、神を恐れて義を行なっている集会と結びついていることである。
彼は、これらの祝福をきわめて厳しい注意でもって保有し、それらを自分のひとみのように大切にしながら、同時に、主なるイエス・キリストを信じるすべての人を──その人の意見や礼拝や集会がどういうものであろうと──愛するのである。彼は、これらの人々を、友人たちとして、主にある兄弟たちとして、キリストの肢体、また、神の子たちとして、神の現在の王国に今共にあずかる者、また、神の永遠の王国を共に相続する者として、愛するのである。
彼らの意見や礼拝や集会がどういうものであろうと、彼らがイエス・キリストを信じてさえいれば、彼は、彼らを愛するわけだが、もちろん、イエス・キリストを信じている以上、彼らは次のような人物でなければならない。彼らは、神と人とを愛する。神をお喜ばせすることを嬉(うれ)しく思い、神を怒らすことを恐れるので、彼らは、悪を注意深くさし控え、また、よい行為に熱心なのである。
さて、真にカトリックな精神の所有者とは、これらすべての人のことを、たえず、自分の心にかけている人である。彼は、彼らの人物に対して言い表し得ないほどのやさしさをもち、また、彼らの幸福を切望しているので、祈りの中に、神に向かって彼らをとりなすことを止めない。人々の前で彼らのために弁護することを止めないのはもちろんのことであるが。
彼は、彼らに向かって、心の慰めになるように語り、また、神のための彼らの働きを励ますように心身を労する。彼は、霊的な、また、この世のあらゆる事柄において、その力の及ぶかぎり、彼らを助ける。彼は、「彼らのためには、大いに喜んで費用を使い、また、自分自身をも使いつくす」(コリント人への第二の手紙12:15ウェスレー訳から)用意ができている。いやそれどころか、彼らのためには、自分の命を投げ出す用意ができているのである。
(野呂芳男訳『ウェスレー著作集』第4巻、470~471ページ、新教出版社、1963年)
ウェスレーは、予定論に立って伝道したジョージ・ホィットフィールドと対立する関係になりましたが、ホイットフィールドの葬儀の説教はウェスレーが行いました。主義主張には対立があっても、信仰者としての信頼関係はそれよりも強いものだったのです。
◇