この問題について、ブッシュ前米大統領補佐官のマイケル・ガーソン氏とピーター・ウェイナー氏はクリスチャンは政治に関わる義務があると主張すると同時に、政治的大義の達成のために信仰を政治に従属させてしまわないようにするべきだと警告した。米クリスチャン・ポスト(CP)が報じた。
今週米福音派プロテスタント団体フォーカス・オン・ザ・ファミリーとのインタビューでウェイナー氏は「クリスチャンが政治に関わるとき、大義が主の御心に先行してしまうことがしばしば生じています。マイケルと私は大統領補佐官をしていたとき、そのような現実を体験してきました。そのような誘惑に駆られるのです。クリスチャンが政治に関わるとき、すべての事柄がクリスチャンの行いにかかっているという感覚に襲われ不安に駆られることがあります。私たちは信仰的であるべきですが、常に政治における争いにおいて勝利し続けなければいけないというわけではありません。このことを勘違いしてはならないと思います」と述べた。
両氏は「シティ・オブ・マン:新しい時代の宗教と政治」という本を出版している。同書の中で両氏は、これまでの歴史を振り返り、米福音主義キリスト者らに対し1970年代および80年代の信教の権利の誤用を学ぶことで新たな政治への関わり方を考察するよう促している。
ガーソン氏は信教の権利に関して、米国の現状に危機感を感じており、「信教の権利に関する認識の一部は壊滅的な状態になっています。米国人の信教の権利は崩壊寸前の状態にあるといっても良いでしょう。米国は信仰に対するさまざまな敵で満ちあふれています。信教の権利を選挙の資金集めのために利用することはあっても、民主主義のために利用されることがほとんどない状態となっているといっても過言ではありません」と述べた。
同氏はクリスチャンは政治に関わる際、恵みを与えることと礼節を守ることが大切であるとし「人は神様のかたちとして創造されましたから、世界人類の人権を尊重するべきです。もしキリスト者が政治に関わり、ある人を優遇しある人を冷遇するようなことがあれば、私たちは信仰を台無しにしていることになります」と指摘した。
またクリスチャンが政治に関わる際、自身のアイデンティティを特定の政党に持つべきではないことも同書の中で指摘されている。クリスチャンが特定の政党と結びつくことが、特に若い世代のノンクリスチャンの宣教の阻害要因になり得るという。ウェイナー氏はある政府高官夫人に、夫とともにある大都市で教会を立ち上げようとしていた際に、教会に青年たちを伝道するのに困難を感じていたことを打ち明けられたことを明かした。彼女は、青年たちが教会の礼拝に出席したがらず、キリスト教にあまり近づきたがらない原因は、キリスト教が教会において特定の政治的アジェンダと結び付いて活動していると思われているためであることに気付いたことを同氏に打ち明けたという。
ウェイナー氏は「キリスト教がある政治的運動の付属物・従属物のように見なされるとき、そのような教会は問題となり得るでしょう」と述べた。ガーソン氏も「いかなる宗教的運動もひとつのイデオロギーと結び付けられるべきではありません。そのようになるとき、キリスト教がだれかしら権力者の権力争いのツールのように見なされてしまいます」と警告した。
これらのことを踏まえて、キリスト者がこれからの時代にどのように政治に関わっていくかについて、ガーソン氏は3つの基本原則を提示した。
1.正義 ―社会がどのように貧困者や弱者、抑圧されている人々を扱うべきか
2.秩序 ―政府の最優先任務は罪深き人々が悪い行いをすることを防ぐことである
3.組織間の仲介役―政府は家庭や共同体、教会の存在を尊重するべきであり、介入するべきではない。
また教会の役割として、ウェイナー氏は教会の礼拝堂で礼拝の際に説教者の口から政治に関する話は説教されるべきではないとし、「教会と政府の働きはそれぞれはっきりと区別されているべきです。政治的課題について全方向的に重点を置いた話をすることができるのなら良いのですが、教会の説教者は礼拝参加者の中には共和党支持者もいれば民主党支持者もおり、保守派もいればリベラルな人々もいることをまず認識するべきです。礼拝説教のメッセージの中に政治に関する話題が加わるとき、キリストの福音のメッセージが脇に押しやられて政治の話が前面に出てしまいがちになってしまうのを頻繁に見てきました」と警告した。
またクリスチャンが政治に関わるときに意識するべきアイデンティティは、キリスト者は一市民であるのと同時に神の市民でもあるということであるという。それぞれのクリスチャンの信仰を証しする活動において、世の人間による都市において神の市民としての価値観や行動の優先順位を宣べ伝えていくことで、世の人々に信仰の生を知らせていくことが大切であるという。