私たちは、「もし、イエスがここにいて直接触れて下さったら、病なんかすぐ治るのに」と、しばしば思ってしまいます。けれども、聖書の物語を見ると、実際にイエスが目の前にいて下されば、すべてが上手くいくかと言うと、そうではないのです。
今日の聖書では、文字通り、救い主イエスがそこにおられました。イエスが、神の愛を説き、人々の罪を赦し、悪霊を追い出し、病を癒して下さる神の御業を、人々の必要のために行なおうとしておられました。しかし、御業はごく限定的にしか現わされませんでした。何が問題だったのでしょうか。それは、人々の心の中に不信仰というマイナスの力が働いていて、もったいないことに、イエスが目の前にいて下さったにもかかわらず、彼らの多くは神の祝福をいただけなかったのです。それは、イエスの故郷で起こった出来事でした。
私たちは、教会に来て祈る、結構真面目な信仰者だと思いながら、どこかで不信仰に陥ってしまう可能性があります。不信仰とは具体的にどんなものか、三つのことを注意して学びたいのです。
1.神の御業を見ながら、疑ってかかる態度に注意!
今、世の中では、物を売るために良い印象を与えようと、色んな工夫がされています。確かに賢く正しいものを見抜かなければなりません。また、詐欺が横行する世の中とは言え、何でもかんでも疑わなければならないわけではないのです。懐疑的になり、善意や愛の溢れる行為にさえ、「どうせ人から良く思われたいから、やっているんでしょ」と批判や皮肉を言ってしまうなら要注意です。
私が自分につくづく言い聞かせているのは、何でも疑い続け、疑い深い人間で終わるより、素直に信じ、人には騙されても、神の祝福だけはいただける者でありたい、ということです。決して、安易に騙されてはいけません。だからと言って、正しいものを見抜こうとし過ぎるあまり、疑うことしかできない人になってはいけないのです。イエスの郷里の人々はそこで失敗しました。インチキの奇跡で騙そうとする癒し主を名乗る人がいて、その人たちとイエスを一緒にしてしまいました。イエスの愛に溢れた御言葉、癒しの御業を見、不思議がりつつも、「いったい、どこでこんな知恵を学んできたんだ。どんなカラクリがあるんだ」と疑い、不信仰となったために、ナザレの人々は神の御業を体験できなかったのです。
2.イエスを人間と同レベルに引き下げない
故郷の人々は言いました。「こいつは、大工の子どもじゃないか」当時の人にとっても、重んじられる職業や立場は、王様や貴族、人の命を救う医師、大金持ちの人だったのでしょう。身近にいて家を建ててくれる大工さんのことは庶民だと思い、重んじませんでした。「単なる凡人じゃないか。母親のマリヤや兄弟、妹のことも良く知っている」と人々はイエスを身近なレベルにまで引き下げたのです。
私たちの心の中のつまらぬ優越感が働く時、イエスに対しても小ざかしく偉そうに振る舞いたいという愚かな思いが働き、不信仰になりますから気をつけましょう。キリストが神の栄光を捨て、「わたしは、あなたがたを友と呼ぶ」と人の姿をとり、へりくだって来て下さったこと自体、本当にありがたいことなのに、どうしてイエスをさらに引きずり降ろそうとするのでしょうか。感謝こそすれ、イエスを踏みつけるようなことをしてはならないのです。
3.イエスに私たちの限界を押し付けない
「信仰歴20年、30年。イエスのことも知っているし、私が祈っても癒されないのも分かっている」とあなたの経験がイエスの御業を割り引く理由になってはなりません。
確かに、甘やかされ過ぎて、あるべき緊張感を失う時、本来の恵みがなくなります。イエスは親しいからと言って、べたべた一緒にいるだけの存在でしかないのでしょうか。いいえ、イエスは私たちを癒し私たちの命を変え、奇跡を起こす救い主であることを忘れてはなりません。
「イエスは、彼らの不信仰に驚かれた」とあります。すねたりひねくれたり理屈を通そうとする、私たちも持ってしまうような愚かな態度が不信仰に繋がったことに注意したいのです。イエスの御業を報告する記事を読み、驚き、その後どちらに転ぶかです。「やっぱりイエスって素晴らしい」と素直に感謝し、へりくだって神の恵みにあずかろうではありませんか。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。