戦時中の諸教会を襲った昭和の宗教弾圧6・26事件を記念して25日、「弾圧受難記念礼拝」がウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(東京・新宿区)で行われた。同教会主管牧師の峯野龍弘師が、「真実・受難・栄光」(ペトロの手紙一1:3〜9)と題して説教した。
6・26事件とは、1942年(昭和17年)6月26日未明、東京をはじめとする全国各地で特高警察により日本基督教団第6部、第9部、更に教団外の東洋宣教会きよめ教会などホーリネス系3団体の教職97名が一斉検挙された事件。当時淀橋教会の主管牧師であった小原十三司師もこの日、10数名の特高刑事により淀橋署に連行。昭和19年6月5日夜の釈放まで、実に402日間にもわたる長き独房生活を送った。諸教会は解散、閉鎖を命じられた。
このような激しい迫害にもかかわらず、小原師はこの独房生活を後に、「信仰上の神の大学院生活」と呼び、「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ローマ8:28)という信仰によってこれを乗り越えた。
峯野師は記念説教の中で、まことの神に従う者を襲う試練の意味について説いた。なぜ正しいものが苦しい試練にあわなければならないのか、そこには2つの理由がある。
ひとつは、この世の中に悪しき者が存在するためである。悪しき者は真実に歩むものを見ると憎しみを抱く。しかし、この世にもっとも必要とされるものは、聖書に基づく真実を愛し、それに従う正しい聖徒の存在であると説いた。
また峯野師は、聖徒がつらい苦難を経験するのは、神がその者をこよなく愛するために、そのよい働きのために世に用いようとして鍛錬されるからであると語った。神が与える試練とは、その者の信仰が神に本物と証明され、火で精錬され、主に称賛と光栄と誉れとをもたらすためのもの。まさにその試練の中でも一筋に神の御旨に心を寄せ、神の栄光への約束を得た、まことの信仰者の姿を説いた。
弾圧の火をもって精錬された、輝かしい純金のごとき先輩諸聖徒の信仰の姿を思いながら、集まった聖徒たちは各自の信仰をまた新たにしていた。