ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(東京・新宿区)の小原記念チャペルで18日、主管牧師峯野龍弘師の主牧生活35周年と米国アズベリー神学校名誉博士号授与を記念した礼拝・祝会の後、愛の音楽伝道会「アガペ・イブニング・セレブレーション」が行われた。同教会副牧師の荒川代利子師が「あなたはわたしの神」(詩篇143:1〜9)と題して福音のメッセージを伝えた。
詩篇143編には、窮地に陥った王ダビデの切ない祈りが詠われている。荒川師は、このダビデ王の祈りを峯野師の祈りに照らし合わせ、名誉神学博士号を取得するに至るまでに、数々の艱難やプレッシャーの中にあって、その度に同師が切なく神に祈り続けてきた「祈りの牧師」であったことを証しした。
そして、「祈る」ことによって、「聖霊に満たされる」ことを熱心に説いた。荒川師は、「『あなたはわたしの神』と告白する人は、絶対に自分の人生を敗北しない」「魂は乾いているときにこそ潤される」と強調。もし人生に迷ったら、それが現実的に可能か、またそれに答えていくための準備ができているかを自問自答すること、また、1人の尊敬できる信仰の先輩を探し、その人によく相談することを勧めた。
また「聖霊の導き」についても説いた。聖霊の導きが自分の中にはっきりしてくると、言いようもない静けさ(平安)が見えて、自分の中から恐れや疑いが全くと言っていいほど消えていく。沖縄出身で、学生時代に大学で海洋学を専攻した荒川師は、自らが聖霊に満たされたときの経験を「海の波が満潮になるような感じ」と、同師ならではの表現で例えた。
淀橋教会で毎週日曜日の4時半から行われているこの集会には、教会に初めて訪れる人々が多く集う。荒川師は、聖霊に満たされるために、神に祈る姿勢について分かりやすく説明した。
神は、祈る人の中に罪があれば、それをすべて取り除きたいと思われるほど人を愛されている。まず罪があるならば、神に対し「自分の罪を赦してもらう」ための祈りを捧げる。その人の罪が神によって清められたなら、そこに神からの確かな声が聞こえてくる。そのような経験をする人は、決して「こんなハズではなかった」というような人生は歩まないどころか、次から次へと神からの祝福が十分過ぎるほどに与えられ、聖霊の恵みによる平安に満たされると説いた。