日本基督教団聖ヶ丘教会・山北宣久牧師は、日本最大のプロテスタント教団である日本基督教団の総会議長。今回は山北牧師に、03年を振り返りながら、今後国内教会の取り組むべき課題と持つべき姿勢について話を聞いた。
――― 03年、日本のクリスチャンにとって重要な出来事は何か。
イラク戦争勃発だと思う。キリスト教国アメリカが“正義”を主張し、キリスト教原理主義的アメリカとイスラム原理主義の衝突のように取り扱われた。一神教の腐敗として、教会に対する批判的な見方が強まった。クリスチャンは今後、キリスト教に対する誤解を解きながら、戦争反対も同時に訴えていかなければならない。
日基(日本基督教団)は米国メソジスト教会と協約関係にあるが、実はブッシュ大統領やチュイニー副大統領がそこの信徒。日基は米国諸教会に対して「力によるイラク民主化が宣教師たちの献身的な働きを台無しにする」と訴えた。米国民も複雑な心境だろうが、キリスト教が力で神の御国を作るのかという質問に対して、はっきりと「No」と答えなくてはならない。
――― 教会は何を社会に訴えるべきか。
愛で始まったものも、力で始まったものも、愛の中から答えを見出すべきだということを訴えたい。これは厳しい戦いだが、力や法の及ばない物事は、愛でしか変えられないのだ。クリスチャンの目指す平和はキリストによる平和のみ。キリストの道に従わずして答えはあり得ない。
日本全体が米国の影響を受けている敗戦が日本への裁きだとすれば、憲法第9条は多くの尊い命の代価を払って与えられた主からの恵みだ。第9条を中心とした憲法が日本を救ってきた。教会は平和憲法保持、テロ撲滅、民主国家の創設に関してアメリカ流を否定すべき。
――― 世界的な平和運動とエキュメニズムについての印象は。
エキュメニズムとは、不一致の世界における悩みの中で教会が分裂を繰り返してきた歴史を悔い改めて、互いの相違点を受け入れながら世界が一つになることの尊さを求める “多様性の中の一致”。これは混交主義と異なり、教会の一致と世界の一致のためにある。教会が不一致の罪を悔い改めて、その罪を許したもうイエス・キリストの十字架で一つになり、伝道と教育で実を結ぶことが必要。
(教団、教派が)主体性の喪失を懸念することもあるが、その心配は杞憂に終わると思う。私たちは絶対的なものには絶対的に、相対的なものに相対的に関わるべきだとキュルケゴールが言っているが、ここに救いの必然がある。だから特質や主張を前面に出せば、分裂に加担することを意味する。
私の教会はカトリック教会の会堂を借りて礼拝を捧げているが、神父さんが最初の礼拝のときにいらっしゃったときにこう言いました、「ここでは2つの教会が2つの礼拝を守っているのではなく、キリストによるひとつの教会が2つの礼拝を捧げています。」
世界に存在する信仰は一つ。伝統にバラエティがあるだけ。そういう意味で、カトリックと(他教会は)全く同じ信仰を持っていて、使徒信条でも一致するから、言動も推進できる。エキュメニカルは単なる教会一致運動ではなく、一つになれない世界を皆が一緒に生きる平和な世界に変えていくこと。だから伝道こそエキュメニカル運動であり、平和運動でもある。反戦平和と伝道はひとつであるべきだ。
――― “一致”を目指す中、異端問題への取り組みはどうあるべきか。
異端は重要な課題だが、何をもって異端なのかについても課題がある。リトマス試験紙的なのは「主・イエス」「使徒信条」「主の祈り」の一致。異端はそこから逸脱する。しかし十字軍的制裁は宗教戦争を招くだけ。
エキュメニズムの正当性は成果で証明される。ピリピ3:16−17から学べるように、争いでなくチャレンジを通じて互いを意識、理解していくべきではないか。「然り、然り、否、否」とあるが、神に代わって釘を打つべきではない。毒麦を除こうとして良い麦を除いてしまうかもしれない。オウム真理教以来、人びとの宗教に対する不信感が高まっている。過ちに対する許しと本当の招きを寛容さを世の人たちに伝えなければならない。
アウグスティヌスが、人は偽りの愛に惹かれるほど真実の愛に飢えていると言った。異端に惹かれるというのは、真実の愛に対する渇きがあるということ。だから異端の存在と成長は、伝道をしない私たちに対する警告。教会が正統信仰をもっとのべ伝えておけば、異端がこれほど跋扈(ばっこ)することもなかった。「自分こそ正統で相手は異端」という態度を避け、相対的に扱うべきだ。 (以降、後編に続く)
……………………………………………………………………………………………………
日本基督教団総議長、山北宣久牧師
やまきた・のぶひさ 1941年、東京生まれ。立教大学卒。東京神学大学大学院卒。品川教会伝道師(1年)三崎町教会副牧師(8年)を経て1995年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。