三浦綾子文学の代表作「塩狩峠」のモデルである故・長野政雄さんの「殉教97年をしのぶアイスキャンドルの集い」が、同氏の命日である2月28日に「長野政雄殉難碑」前、「塩狩峠記念館」(北海道・上川郡)で行われた。同氏、故三浦綾子さんが教会員だった、日本基督教団・旭川六条教会(西岡昌一郎牧師)の壮年会と旅装塩狩温泉が共催。集いには同教会員や全国三浦綾子読書会のメンバーら、62名が参加した。当日は作成に2ヶ月を費やしたという、アイスキャンドル1000個以上が殉教碑の周囲を越え、通路にまで並べられた。
明治42年2月28日の夜、汽車が塩狩峠の急勾配にさしかかった時、客車最後尾の連結器が離れ、逆行暴走した際に当時国鉄職員であり、偶然乗り合わせていた長野氏が自ら車輪の下敷きになり乗客の命を救った。
殉教碑前で行われた礼拝では西岡牧師が「人がその友のためにいのちを捨てるという、これより大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネの福音書15章13節、新改訳)を本文にメッセージを伝え、「長野氏は最も大きな愛をあらわした」などと語った。
また、故三浦綾子さんの夫の光世氏は綾子さんが「塩狩峠」を書くに至った経緯を話した。「綾子さんは当時、長野氏の部下であり、旭川六条教会員でもあった藤原えいきちという人物を通し、長野氏を知るようになった」「長野氏の生に感銘を受け実地検証を交えながら小説を仕上げた」と明かした。
また、旭川六条教会員で「塩狩峠」が月刊誌「信徒の友」(日本キリスト教団出版局1966年〜1968年)に掲載された時、毎月の挿絵を担当した中西清治さん、長野政雄さんの足跡を遠方まで丹念にたどり、研究を続け、その報告が月刊誌「百万人の福音」(いのちのことば社)に掲載された、中島啓幸さんの講演会も行われた。
同集いの参加者は「長野さんの命日をこの場所で過ごせたことがとても喜ばしい。また、光世さんの話から塩狩峠への感動を新たにした」と述べた。