「明るい光がどんどん近づいてきました。遠くのほうなのですけど、初めはヘッドライトかなと思っていました。光がどんどん近づいてきて、私のところにたどり着いた時に、目の前にすごく美しい羽をもった鳥が現れ、じっと私を見ていました・・・・・選択肢がなかった私に聖霊様が降り、私をこのように導いてくださいました。28年も前の話です」
先日16日、東京第一キリスト教会(東京・杉並区、金宙完牧師)で聖会を催したマーティン・オロスコ師が聖会後に本紙の取材に応じ、自身の霊的な体験についてこのように証しした。オロスコ師は聖霊の賜物を持ち、数々の聖会や女性大会で御言葉と預言によるいやしと解放のミニストリーを行っている。そんな彼女も、以前は神を知らず、度重なる悲劇の中で不安と絶望に悩まされる毎日を送っていた。しかし、神は決して彼女を見放さなかった。彼女を死の淵から救い出し、この地に救いを成し遂げるための尊い器として用いてくださった。オロスコ師がその始まりから今に至るまでの経緯を語ってくれた。
オロスコ師は幼いときから父親がいない母子家庭で育った。しかも母親は自分を養育せずに施設に預けるという始末。物心がつき始めた5歳頃の話だ。ハイスクールを卒業する18歳まで13年間、施設で育った。もちろん、家族と一緒に過ごすことができなかったのだから親の「愛」など知る余地もない。父親と母親の愛情に知ることなく時間だけが過ぎ、気付いたときにはもう大人になっていた。
18歳で施設を出た。家族の愛を知らなかったから、自分の家族を持つことに対する強い「願望」があった。その思いがかない、その後結婚することになった。2人の娘を授かった。自分の子どもを抱きかかえることができたことが嬉しかった。「これが家族か」と思った。新しい家族と新しい環境で新しい人生が始まった。もちろん苦労はあったが、今までにない充実感があった。
しかし、そんな幸せな毎日が続いていたときに悲劇は起こった。夫が急に離婚を申し出てきたのだ。結局受け入れることにし、離婚することになった。こうして7年の結婚生活の幕が閉じた。
それからというもの、2人の子どもを養うために働きに出ることになった。子どもたちを自分と同じような境遇に立たせることだけは嫌だった。だから必死に働いた。夜遅くまでがむしゃらに働いた。幸運なことに職場で知り合った男性と再婚することになった。新しい娘も授かり、この幸せな時間が永遠に続いてほしいと思った。
けれどもやっぱりうまくいかなかった。夫と衝突する毎日が続く。結婚生活が苦しくなった。「家族の愛を知らずに育った自分のせいなのかもしれない」と自虐すらした。けれどもどうしてそのようになるのか理解できなかった。「新しい家庭を与えてください」と神さまに祈る時もあった。
夫との葛藤が続いたある日、再び悲劇は起こった。その日も夜遅くに仕事を終えて帰宅した。すると夫が私に話した。「マーティー、私はあなたのことを愛することができない。私はわけがわからない」。そのとき頭がショートしたような感じがして、つもり積もった疲れがどっと押し寄せてきた。「死にたい」という思いが脳裏を掠めた。「私は本当に愛がほしいの。お金や何か他のものは求めません。ただ愛だけがほしいのです」と叫んでも、やりきれない思いを隠すことができなかった。それで自殺未遂をした。結局助かったが、もう何をしても何も感じられないような、まるで植物状態に陥ったかのように意識が凍り付いてしまった。もはや家で夫や子どもたちと一緒に過ごすことは出来なかった。「私はどこへ行っていいのかわからない。話をすることができる家族がいない」と友人に悩みを打ち明け、病院に入れてほしいと頼んだ。
入院すればゆっくり休むことが出来ると期待していた。しかし、そう簡単なものではなかった。突然前の夫とその親族がやってきて、一枚の紙を渡された。そこには、「2人の子どもたちの親権を巡る裁判を起こす」という旨を伝える内容が書かれていた。「どうしてこうなるのか・・・」。絶望感が漂った。もうこれ以上何を頼ればいいのかわからなかった。そのとき初めて神さまに祈った。「神さま、あなたが今本当に神さまであることを示してくれないならば私は自殺してしまいます。ここであたなが主であることをどうか証明してください。2人の娘たちをどうか私から奪わないでください・・・」。理由はなかったが神さまは必ずこの祈りに答えてくれると思った。
それからしばらくたって、ある人から教会の祈り会に参加するように勧められた。ためらいはあったが、その教会の信徒たちが自分のために熱心に祈ってくれた。罪を悔い改めてイエス様を受け入れるためのとりなしの祈りをしてくれた。「神さまに祈ればあなたを取りまいている全ての状況が変わる」と言われたが、そんなことをまだ信じる気にはなれなかった。しかし驚いた。何週間か経つうちに、少しずつ家庭の状況が良くなってきたのだ。「家へ帰りなさい」という主の御声が聞こえたので恐れながら家に帰ってみると、夫がやさしく出迎えてくれた。聞いてみると驚くべきことに、ちょうど同じ時期に夫も別の教会で主を受け入れたのだという。なんという偶然だろうか。こうして、元の暖かい家庭生活を取り戻すことになった。
幸せな家庭生活が続いていたある日、家族でアリゾナへ旅行に行くことになった。不運にも砂漠のど真ん中でガソリンが切れるなどのトラブルが勃発し、夜が更けて真夜中になってしまった。「ちゃんと帰ることができるだろうか・・・」。不安が拭いきれず、心静かに神さまに祈った。すると、どうだろうか。明るい光が遠くに見えた。ヘッドライトかなと思ってみたけど、そうではない感じがした。光はどんどん近づいてきた。けれども、夫も子どもたちもその光の存在には気付いていないようだった。目の前までたどり着いた時に、それが鳥だとわかった。すごく美しい羽をもっていた。夢か幻か現実か。とにかく光が見えたことは確かだった。それで一緒にいたクリスチャンの夫の母に聞いてみた。「お母さん、すごいものを見ました。よく理解できないのです。目の前で消えてしまいましたけど・・・」、「あなたは神さまに何かお願いをしませんでしたか?」、「私は神さまに『あなたが本当であることを示してください。それが砂漠の真ん中だろうとあなたが本当にいらっしゃることを示してください』と祈りました」。夫の母はそのことを聞いたとき、「それは聖霊様が降ったのです。聖霊様が鳩のような形で現れたのです」と教えてくれた。
それからというもの、祈りをしていると幻が見えるようになり、主の御声が聞こえるようになった。さらに驚くべきことに、誰かのためにとりなしの祈りをしている、とその人の病気の部分がわかるようになったきたのだ。ある人が隠していた病気や痛みの部分を言い当てることができるようになり、人々はその癒しの力を見て驚いていた。神さまが自分に癒しの賜物を下さり、「癒しなさい」とおっしゃられた。こうして癒しの賜物を与えられてからは、その賜物を人々の救いのために用いるようになった。油注ぎの賜物も強くなった。今では、数々の聖会や女性大会で御言葉と預言によるいやしと解放のミニストリーを行っている。
なぜ今回日本にやってきたのか。それには理由があった。ある人が祈祷会で私のために祈ってくれたときのことだ。「あなたは日本に行きます。韓国と中国にも行きます」という預言があったと彼女から明かされた。日本も韓国も知らないし、アジアのことも全くわからない自分にそのような預言が降るとは思ってみなかったから、「彼女は気が狂っているのだろうか」とその預言を疑いさえした。しかし、信仰を持ってこの預言を受け入れた。数ヵ月後、韓国人クリスチャンの友人を通してアジアへの道が開かれ、韓国へ行くことになった。そこで知り合った人の紹介で、今回日本にも来ることが出来た。
「私はアジアの方々を愛しています。私はこのアジアの国に来るなんて思ったこともありませんでした。以前は想像することもできなかったし、考えることもできませんでした。でもそんな私を神さまは呼んで下さり、ここへ遣わしてくださったのです」とオロスコ師は証しする。
オロスコ師は来年は60歳になる。2人の息子と3人の娘、孫たちもいる。「イエス様が私をどんなに愛してくださったのでしょうか。信じることです。それが力になります。たくさんの驚くべき奇跡の御業を引き起こしてくださります。こうして私は今このように癒しのミニストリーをするようになったのです」とオロスコ師は語った。
数奇な運命に翻弄され、何度も挫折と絶望を繰り返したオロスコ師。しかし、主の愛を知り、変わった。家族との和解を成し遂げ、幸せな人生を取り戻すきっかけを与えてくれたのは主だった。パウロにイエスの霊が現れたように、オロスコ師の上にも主が聖霊となって降り、その使命を悟らせた。オロスコ師は今は大学でカウンセリングの博士課程を取得している真っ最中。「今後も与えられた癒しの賜物を用いて世界中の人々を神の救いへ導きたい」と力強く語った。