この様な疑問が反映され、3月28日から29日にかけてブエノスアイレスの神学校ISEDETにて「クリスチャンの信仰とエコロジー-エコ・エキュメニカル神学に向けて」というセミナーが行われ、アルゼンチンの諸教会が参加した。
このセミナーはISEDET、非政府のアルゼンチンを拠点とした地域活性化団体、世界学生キリスト教連盟(WSCF)ラテンアメリカおよびカリブ地区がスポンサーとなり、世界教会協議会(WCC)およびカナダユナイテッドチャーチ(UCC)によって支援された。
~自然に対する緊急の懸念~
セミナーではアルゼンチンの生物学者アルフレッド・サリビアン博士が「気候変動は非常に急速に生じており、予想以上の惨事をもたらしている。私たちはこの気候変化を親の世代、祖父母の世代と比べているのではなく、ほんの20年・10年・5年前と比べているのである」と警告し、神学の接頭辞として「エコ」を置くことを提案した。
「エコ神学」では、自然への避けることのできない緊急な課題を神学に反映させようとしている。サリビアン博士は「イエスキリストによってなされた贖いには双方向性があることを見逃してはならない。創造主と人類の関係を回復させたという側面においては、キリストの贖いは垂直的なものである。しかし、私たちはもう一つの、人類と他の創造物の間の痛んだ関係性を癒されたという水平的な側面について見落としがちである」と指摘した。
サリビアン博士は今こそラテンアメリカ神学を更新する時であると指摘し、エコ神学は創造物を管理する立場を任された人類にとっての「創造」「キリスト」「人類」および「エキュメニズム」の意味合いを改めて問い直すものとなるだろうと述べた。
京都議定書を発行する際の京都会議議長を務めた元外交官のラウル・エストラーダ氏は今回のセミナーにおける気候変動のテーマと関連付けた国際的枠組みについて言及した。
~神学と政治~
エストラーダ氏は神学者と政治家が相互に理解し合えていないことがダメージとなっていると警告し、「神学者が政治の世界で何が起こっているのか理解しようとしなければ、政治の腐敗について干渉するのは難しいだろう。WCCの教会員から多くの人が環境問題に関する国際的な会議に参加している。WCCは神学的に倫理的な側面について提案しているのであれば、交渉事の最終結果により大きな影響を及ぼすために実際に交渉を行っている政治家たちにより強く提唱していくべきではないだろうか」と述べた。
サリビアン博士は「私たちクリスチャンは数年前に、資源の利用や創造物への配慮という社会道徳問題について警告していく責任があることを強調した。このコンセプトは現在に至っても主要な学校で自然保護よりも経済が優先されて教えられていることに反することである。経済が自然保護に優先することが多くの人々にとって抑圧となっており、自然と人間との関係を破壊している」と指摘した。
ラテンアメリカ神学を再考する必要があることが再度強調され、WCC気候変動プログラムエグゼクティブのギラーモ・カーバー氏は神学における気候変動の主たる影響のひとつとして、創造物に対する神学的理解を更新する必要があることを指摘し「創造の段階における人類の立場はどこにあったのだろうか。他の創造物とどのような関係を築くべきであると望まれているのだろうか。エコロジーと関連付けた神学の認識論的な変化がなされる必要があるだろう」と述べた。
~地球との平和~
今回のセミナーでは暴力、平和構築および創造物への配慮についての関係性を説明する試みがなされた。ジャマイカで5月17日から25日まで行われる国際エキュメニカル平和会議(IEPC)では「地球との平和」が主たるテーマのひとつとして掲げられている。
今回のアルゼンチンでのセミナーからは気候変動に起因する環境問題には経済的、政治的、および精神的な問題が含まれていることを認識しようとする総体的な試みが行われた気候変動による影響では、女性や貧困者、土着民族などの社会的立場の弱い人々に対する影響と正義の問題も言及された。
カーバー氏は、「聖書の中核となるテーマは正義であることを認識しなければならない。聖書に示される神は正義を行われる義の神である。それゆえに、私たちは神学の中に『エコ(環境に対する)正義』という課題も含めなければならないだろう」と述べた。
アルゼンチンにおけるWCCとその諸教会教会員がエコロジーと神学の対話を行う会議は、過去において、1974年に「人類と人類を取り巻く環境」というテーマで、1990年には「危機、エコロジーと社会正義」というテーマでそれぞれセミナーが行われていた。両方ともISEDETによって催された。