大きな質問は、これらの地震が日本列島地震活動期に入ったシグナルなのか、である。1923年に起こった関東大震災以来、日本列島は地震の低活動期であったが、近年、阪神大震災から中越大地震、それに今回の巨大地震が続いた。もし活動期に入ったということなら、これから、どこでいつどのようなスケールの地震に見舞われるかは、見当がつかなくなる。
マヤ予言を主張する者たちは、2012年12月21日に世界は終焉を迎えるとの説を唱えている。終焉しないまでも大災害、大混乱、大変化が起こるという。世界中は、この予言に敏感に反応しているが、近年、この仮説の真実性をあたかも裏付けるようないろいろな災害が起こり続けた。そして今や、その流れは日本をヒットした。その被害は世界でも比をみないほどだ。
9・11同時多発テロを皮切りに、アフガニスタン紛争、イラク戦争、数えきれないほどの国際的なテロ事件、インドネシアを襲った地震と津波、スマトラを襲った地震と津波、エジプトのクーデター、リビヤのクーデター、ニュージーランド大地震、日本を襲った3つの大地震など、そのスケールは年々明らかに増している。確かに、この十年間に起こった自然災害、人的災害は見過ごすことができない。
マヤ予言を引き出すまでもなく、聖書は、旧約時代から終末について語り続けている。また、聖書全66巻は、ヨハネ黙示録で閉じられているが、この書は初めから終わりまで、終末が来るとの記述で埋め尽くされている。聖書が予告し、記述している終末的出来事がこの10年間で次から次へと起こっているではないか。人類史上かつてなかったような加速ぶりである。
もちろん、聖書の終末論とは、キリストの再臨のことである。旧約聖書に預言され、キリストご自身がくり返し語られ、また使徒たちが語り、また書いた中心的メッセージであり、多くのページを使って詳細に啓示されている。
キリストが再臨されることは確実だが、それがいつであるかは誰も知らない。聖書はイエスが語った「夜中の盗人が来るように来る」という言い回しをくり返している。しかし同時に、「兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません」(テサロニケ一5・1~6)との記述もある。
その理由は、聖書が世の終わりのしるしを描いており、あらかじめ、そのしるしを研究できるからだろう。聖書の教えと現在起こっていることを見比べるからこそ「暗やみの中にいない」ということになる。
「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう」。ここで言う光とは、肉眼で見える光でなく、聖書のことばを通して霊の目で見える光のことだ。
ユダヤ人たちは、ナザレのイエスがメシヤとして来たことを受け入れず、いまだにメシヤの到来を待ち望んでいる。私たちクリスチャンは、彼らの間違いを犯してはならない。キリストはすでに来られた。そのキリストが、「そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見る」と語られた。ユダヤ人が初臨を見過ごしたように、クリスチャンは再臨を見過ごしてはならない。主は明確に「これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いの日が近づいたのです」(ルカ21・27、28)と宣言された。
この日は、備えられていない者には恐ろしい日であり、備えられた者には何よりも喜ばしい「贖いの日」になる。だから、聖書は「目をさましていなさい」とくり返し語っているのではないか。
私たちの教会では、被災者のために祈り、募金を集め、被災地に行く準備をしている。だが、私たちクリスチャンは、もう一つの重要なポイント、終末が迫っているという知らせを伝えなければならない。それは、クリスチャンにしかできないことなのだから。
平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。