2月28日、合衆国長老教会(PCUSA)パネルは教会憲法に違反すると起訴されていた同性愛聖職者を容認した。米ミネソタ州ツインシティーズ地区の長老教会パネルが、オーク・グローブ長老教会にて、同性愛聖職者問題について票決を行ったところ、賛成票3票、反対票3票となった。
票決で同性愛聖職者を解任するには、3分の2の賛成票が必要であるが、わずかに届かず、同性愛聖職者を容認するかたちとなった。米長老教会の同性愛聖職者問題は、米カリフォルニア州ヘイワードにあるシャボカレッジで教職に就いているアーウィン・バロン牧師について、同師が2008年に男性のパートナーと結婚したことを受け、長老教会憲法に違反するとの問題が生じるようになった。二人はカリフォルニア州で同性愛結婚が合法とされていたわずか数カ月の間に同州で正式に結婚するに至った。
結婚後間もなく、バロン牧師は合衆国長老教会(PCUSA)内で生じていた同性愛問題についてのコメントを書き送った。同師はその中で、長老教会のキリスト教徒は同性愛問題について聖書を第一に持ってきて議論するべきではないと主張し、「PCUSA内での同性愛問題につきましては、聖書を起点として考えるのであれば、私たちは二極化したこう着状態に辿りついてしまうことでしょう。聖書の議論はしばしば二極化されています。聖書を起点として話すなら、私たちの自然の状態からは話ができないことになります」と記述していた。
同師によると、聖書よりもむしろ、同性愛についての議論の出発点は「私たち全てが共有し得る個人的経験によるものであるべき」であるという。プロテスタントキリスト教徒は常に神様の御言葉をもって同性愛問題について議論するが、バロン師は聖書だけが道徳的な権威となるものではないと主張し、「私たちはこれまでの歴史や伝統、科学、弁証法および毎日生じるあらゆる出来事において神様の啓示が続いていることを見ることができます。聖書の御言葉と私たちの経験―この両方が私たちの道徳を形作っていくものでなければなりません。どちらかのみに偏った物の見方をするのは危険であり、攻撃的でさえもあります。聖書を始点として議論し、個人的な経験の重要性を軽視するよりも、私たちの経験が聖書の中に導かれるようにするべきです」と主張している。
米ミネアポリススタートリビューンによると、バロン師は2月28日、同師の2008年に行った結婚式は教会が同性愛婚を認めてくれなくても、ただ祝福してくれさえすればよいものであったとし「私は教会の視点によって私たちの結婚を受け入れていただこうとは思っていません」と述べたという。
同師を教会憲法に違反すると起訴したブライアン・ウッド弁護士は、同性愛婚は明らかに教会憲法に違反しており、結婚は男性と女性の間でのみなされるものであるとし、同師が聖職者として在任し続けることに対し異議を唱えている。PCUSAでは牧師按手の基準として「男性と女性による正式な結婚がなされている者」あるいは「独身で貞潔を保っている者」と定めている。
今年、173の長老会が「男性と女性による結婚」を牧師按手の基準として承認するかどうか投票を行って票決が行われる予定である。同基準が承認され続けるには大多数の賛成票が必要となる。