「神よ。私をお守りください。私はあなたに身を避けます・・・」(詩篇16・1〜11)
30年前に教団から任命され、宮城県女川町に赴任して数カ月間、平屋の民家を改造しただけの小さな古い会堂で毎日、詩篇を大きな声で朗読しました。そこから、この詩篇が私にとって幸いなテキストとなった経験があります。
ミクタムとは「罪を覆う」という意味があります。イスラエルの王、ダビデは詩人でもありました。詩篇の中でダビデのミクタムと称される16篇1節から11節。神の特別な守りについてダビデは、自分の希有な人生経験から記しています。
ダビデはその人生の中で、様々な敵から守られた戦いや出来事を経験しました。ゴリヤテ、ペリシテ人、実の子アブシャロムからの特別な神の守りや、罪からの悔い改めを通しての回復・・・。そんな出来事の後に彼は、「私は主に歌を歌います」(13・6)と告白しています。
モーツァルトの有名なトルコ行進曲は、攻め込んできてウィーンを攻略包囲したオスマン・トルコの軍隊が戦闘を開始するときに、必ず軍楽隊が最前線で、鼓笛をメインとした勇壮な中東風の軍楽を鳴り響き渡らせたことに影響されています。ダビデの指揮するイスラエルも軍楽隊が活躍しました。
またダビデは、主がいるので自分は幸せ者だと、詩篇16篇2節で告白しています。私たちは、信仰生活の中で幸せだと感じることは多いのですが、ダビデの先祖のヨセフも幸運な人となった(創世記39章)とあります。幸せの源はどこにあるのかということを人生体験としている人は、ラッキーパーソンです。
ダビデは、神を信じる聖徒の受ける祝福がどんなに大きいものか述べています。当時のイスラエル民族の中には、約束の地に土着していたカナンの諸民族の信仰していた偶像神、アシェラ神やアシュタロテ神等々を拝む同胞がたくさん出てきました。そんな中でイスラエルの神のみを信じ通した聖徒を褒め称えています。
今の日本に住むクリスチャンも霊的状況は同じです。しっかりと自分の受ける分を堅く守って「ほかの神々へ走った者の痛み」(16・4)を受けることのないように心したいものです。
ダビデは聖徒の魂の平安の鍵について賛美していきます。それは第1に、「主による助言を与えられていた」(16・7)。彼の秘密が告白されています。的確な人生の助言を主によって与えられ続けたダビデは、幸せ者でした。人の助言は、時として様々な利害関係が絡み、不誠実な助言もあるかも知れません。しかし、ダビデへの主からの助言は「素晴らしい」の一言に尽きました(16・7)。
またダビデは、主が右におられると、臨在されるお方を敏感に感じていました。主が自分とともにいることを知っていたダビデは、心は喜んでいるし、魂は楽しんでいると告白しています(16・9)。極めつけのダビデの信仰の奥義は、復活の確信でした。ダビデは、彼の人生の最後に下ると思われていた「よみ」(陰府、ヘブライ語:シェオル)に、自分の魂が捨て置かれないとする信念に満ち溢れました。復活の確信です。
このミクタムは、王宮の宴席や諸儀式で披露され、イスラエルの人々はダビデの人生に主がともにいることを知らされました。70年のダビデの生涯は、ミクタムが一つの鍵でした。
田中時雄(たなか・ときお):1953年、北海道に生まれる。基督聖協団聖書学院卒。現在、基督聖協団理事、宮城聖書教会牧師。過疎地伝道に重荷を負い、南三陸一帯の農村・漁村伝道に励んでいる。イスラエル民族の救いを祈り続け、超教派の働きにも協力している。