せちがらく荒廃した世の中になりました。
保険金殺人や無差別殺傷事件が相次いで起こり、政治家も経済人も、世の治安を守るべき人たちの間にも信じられないような不祥事が取り沙汰され、宗教界もまた例外ではありません。
どうして、このような世の中になってしまったのでしょうか。聖書という不思議な書物をひもとくと、その答えが記されています。
その一つを紹介しましょう。それによると、「パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである」(アモス8:11)というのです。主のことばとは、聖書のことです。聖書に聞こうとしないなら、人の心は荒廃し、愛も真実も失われ、その魂は死滅してしまうというのです。
美味しいものを食べ歩くことができる世の中。テレビ番組は毎日のように人をして美食を追い求めることに余念がありません。もちろん、食文化は大切であり、栄養の配分などを加味して体力の増進を図ることは大切です。
しかし、イエス・キリストが、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と申されたように、神の言葉を聞いて霊的な生命を健全にすることは、人間の生活に欠くことのできない重要なものです。
今こそ、何を置いても神の言葉である聖書に聞いて霊的な生命を健全にする時です。
聖書は、天地万物の創造者である神のいますことを明らかにします。私たちは、親しく神様を父として崇め、親しく交わり、常に新しい生命の光の中を生きることができるのです。
盲目の聖者と言われたヘレン・ケラー女史は、「聖書の中で見出した光は何ものにも例えることはできない」と、その著書の中で証しをしておられます。
また、貧しい家に生まれ育ったアブラハム・リンカーンは、母親からプレゼントされた一冊の聖書によって、魂の渇きを癒やす秘訣を身につけ、それが彼の政治理念の根幹ともなったのです。有名な「人民の、人民による、人民のための政治を地上から消滅させてはならない」という言葉は、それを証明しています。
私どももまた、そのように神の言葉によって生かされたいものです。
藤後朝夫(とうご・あさお):日本同盟基督教団無任所教師。著書に「短歌で綴る聖地の旅」(オリーブ社、1988年)、「落ち穂拾いの女(ルツ講解説教)」(オリーブ社、1990年)、「歌集 美野里」(秦東印刷、1996年)、「隣人」(秦東印刷、2001年)、「豊かな人生の旅路」(秦東印刷、2005年)などがある。