イエスは、中風を病んで全身麻痺の男に「あなたの罪は赦された」と宣言した。またシモンの家で、その町で有名な娼婦に向けて「あなたの罪は赦されています」(ルカ7:48)と宣言され、姦淫の現場で捕らえられた女に向かって「わたしもあなたを罪に定めない」(ヨハネ8:11)と言い放った。
罪人とレッテルを貼られた取税人マタイが、イエスのゆるしを受け、さらに弟子として召しを受けた時、自らの救いを記念して大食事会を催した。大勢の取税人や罪人が集まり、イエスと一緒に食卓を囲んだ。彼らは、イエスからゆるしが流れ出ることを直感した。社会からは裁きを感じたが、イエスからはゆるしを感じたのだ。敵対者であり批判者であるパリサイ人に向かってイエスは、「わたしは罪人を招くために来た」ときっぱり言い切った。
これらは、天の御国が近づき、天が裂けて御霊がくだった現れである。新しい時代は「罪の赦し」を天から運んできたのだ。イエスはこのように、人々に気前よくゆるしを宣言し続けた。また、それだけではなく、赦しについても教えられた。
ペテロがイエスに質問してきた。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。7度まででしょうか」。これは質問というよりむしろ、自分の寛大さをほめてもらうために言ったことだ。すると、期待外れどころか、驚くような答えが返ってきた。
「七度まで、などとはわたしは言いません。7度を70倍するまでと言います」
単純計算すれば、490回ということだが、イエスの言葉は次のことを意味している。
1. 数えないで、ゆるしなさい。
2. 無条件にゆるしなさい。
3. ゆるしがライフ・スタイルになるまで赦しなさい。
4. イエスのゆるしは無限、無条件であり、イエスのライフ・スタイルである。
イエスはたとえ話をしながら説明する。
ある男が王から1万タラント(6000億円ほど)借りたが、返済できなかった。この男は、主人の前にひれ伏して「どうぞ、ご猶予ください。そうすれば全部お払いします」と言った。主人は彼をかわいそうに思って、彼をゆるし、借金を免除してやった。
ところが、この男に100万円借りのある仲間に出会うと、その人をつかまえ、「借金を返せ」と言った。彼の仲間はひれ伏して「もう少し待ってくれ、そうしたら返すから」と言って頼んだ。
しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。
そのことを知らされた主人は、「おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がお前をあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか」と言って、彼を牢に投げ入れた。
1. この男は、主人から借金が免除されたことを知らなかった。彼は「ご猶予ください」と頼み、猶予してもらったと思い込んだのだが、免除されたとは思えなかった。これは、多くのクリスチャンの理解に似ている。すべての罪が赦されたことが理解できない状態である。
2. 「そうすれば、全部お払いします」と言った。支払うためには金を得るしかない。そのチャンスが来たので、仲間から返済を迫ったのだ。もし、彼がすべての借金を免除されたことを知っていたなら、こんな態度には出なかったはずだ。むしろ、喜んで100万円を免除してあげたに違いない。
3. 罪がゆるされないと、牢屋に縛られたような状態になる。罪悪感をもっていると、何かに縛られたような気持ちになってしまう。
4. 他人の罪をゆるさないなら、また、縛られた状態になる。ゆるされなくてもつながれるが、ゆるさなくてもつながれる。このように、縛り合った関係が広がっていく。
もちろん、それをほどくのはゆるし以外にない。だからこの物語の落ちは、「あなた方も、それぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさる」である。
このたとえが教える次の3つのことを、心に留めておきたい。
1. 完全にゆるされたことを理解しなさい。あなたのすべての罪は、無条件にゆるされたのだ。
2. ゆるされたのだからゆるしなさい。ゆるされたことを喜び、ゆるすことを喜びなさい。
3. 天の御国は、ゆるしによって拡張していく。
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平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。