英字新聞を読んでいると、「ブレイクスルー(breakthrough)」という言葉が目に付く。訳語は「突破」「突破口」といったところだ。政治、経済など分野を問わず、現状打破のための「突破口」を探しているようだ。
日本の宣教についても、「1%の壁」として叫ばれている現状をどうすれば突破できるかがよく語られる。いや、日本全体などと大きな視点だけではない。自身の教会でも、各個人においても課題があり、その解決のために日々頭を悩ましているのが我々ではないだろうか。これら我々に突きつけられた課題の突破口は一体何であろうか。そもそも突破口とはどのようなものなのか。
今は食品類の包装に「切り口」なるものが普通に付いている。切り口を利用すれば包装はすぐに開けられるが、使わなければハサミか何かが必要で非常に苦労することになる。最も身近で、もう当たり前のものとなっている一つの突破口ではないか。
しかし、この切り口、たまたま付いているのではない。メーカー側が空けやすいようにと付けたものだ。宣教の突破口についても同じではないか。たまたまあるのではない。創造主なる神がその地の宣教のためにと計画し用意されているものだ。旧約に記されている数々の戦(いくさ)を見てもはっきりと示されている。「主が敵を渡された」とき勝利できたのだ。
課題のすべての鍵は神にある。当たり前だと言われそうだが、「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1:7)であることを今一度確かめて、具体的な宣教の突破口を考え、見出したい。