現存する最古の日本語訳聖書「ギュツラフ訳聖書」の翻訳を助け、日本人として初めて聖書翻訳に携わったことで知られる音吉(1819〜67)の数奇な生涯が映画化され、2012年5月までに公開(予定)されることがわかった。米ハリウッドの映画会社が製作する予定。音吉顕彰会の齋藤宏一会長が3日、明らかにした。
同日行われた聖書事業功労者表彰式(日本聖書協会主催)で語ったもの。映画は、柳蒼二郎著の『海商』(徳間書店、09年7月発売)を脚色したものになるという。
尾張・小野浦(現愛知県知多郡美浜町)で1819年(文政2年)に生まれた音吉は、13歳の時、乗っていた江戸行きの船が暴風に遭って難破。実に14カ月間にわたって漂流し、米国太平洋岸のオリンピック半島に漂着した。その後、英国の船会社の計らいで、音吉らはマカオへ行く。
マカオではドイツ人宣教師チャールズ・ギュツラフに預けられ、そこで世界初の日本語訳聖書の翻訳に協力。約1年半の滞在後、那覇へ行きモリソン号で日本へ向うが、同船が砲撃を受け上陸は果たせなかった(モリソン号事件)。その後、米国を経て上海で生活、英国の極東艦隊司令長官スターリングが長崎で日英交渉を行った際には通訳を務めるなどした。しかし、日本に戻る機会は与えられず、上海からシンガポールへ移住。自分の代わりに日本へ帰って欲しいと息子に遺言を残し、病気のため同地で49歳のときに亡くなった。
音吉を題材にした書籍には他に、『海嶺』(三浦綾子)、『にっぽん音吉漂流記』(春名徹)などがある。
音吉の出身地、美浜町の前町長で、音吉の功績を日本や世界に広く知らせようと活動する齋藤氏は、音吉について「(当時まだ)未知の多い世の中で、しかも世界中を駆け回ってこれだけの足跡を残した人は、美浜町に、いや日本の中でも見られない」と紹介。「日本というのは海外から戸を叩いていただかないと分からない文化だから、外から戸を開いていく、そんな映画を計画している」と、映画の本場ハリウッドでの映画化に期待を見せた。