「ダ・ヴィンチ・コード」、「ユダの福音書」などに見られる、最近のキリスト教への攻撃、挑戦は以前にもまして陰湿かつ狡猾になっている。キリスト教冒涜の文化を商品化し、「大ヒット」と銘打って何も知らない人々を巻き込むその戦略はまさに悪魔的だ。極端な言い方かも知れないが、消費者はお金を払って無意識のうちに主イエス・キリストを冒涜する罪を買ってしまう。もはや世の末といっても過言でない。
特に、映画「ダ・ヴィンチ・コード」と「ユダの福音書」の宣伝を見ると、その深刻さは無視できない。どちらも商売のためにキリスト教を利用しておいて、それがキリスト教に及ぼす悪影響にはまったくの無神経だ。過剰に対応することも無いだろうが、議論の余地のない誤った情報だけはキリスト教界が団結して正していくべきだ。
先ず、映画ダヴィンチの方はいかにも面白そうなサスペンス映画であるかのように宣伝している。テレビやサイト(http://www.sonypictures.jp/movies/thedavincicode/)の宣伝を見ると、それが反キリスト教の思想がぎっしり詰まった霊知主義(グノーシス)映画であることは伝わってこない。映画作りの規模やキャストの豪華さは宣伝しても、ダ・ヴィンチ・コードがいったい何を意味するかは全く触れない。
あたかも大ヒットの理由が豪華キャストにあると言わんばかりだ。実はフィクションであり特定宗教を攻撃する内容(既にグノーシスとして異端視された思想)のためセンセーションを巻き起こしたとは一言も書いていない。つまり、少しでも倫理的に悪く映る部分は隠し、意図的に映画の真意をはぐらかしているようだ。この映画を見た人は自分でも意識せず楽しみながら反キリスト思想を頭に叩き込まれるであろう。そのサブリミナル的な悪影響の責任は一体だれがとるというのか。
次に、「ユダの福音書」の宣伝であるが、これもまた問題がある。映画ダヴィンチの後発であるユダの福音書は流行に便乗しようとする感がある。宣伝の内容もキリスト教側の危惧に対して無神経極まりない。
販売元「ナショナル・ジオグラフィク日本版(日経ナショナル・ジオグラフィック社)」の日本版プレスリリース(http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_1.shtml)を見ると、「ユダの福音書」の内容をそのまま真実であるかのように主張している。確かに先端の技術を駆使して古文書を解読したことは評価に値する。宣伝するならそこまでだろう。
復元されたユダの福音書なる古文書だけを根拠に神学の専門知識も無いスタッフが、キリスト教の根源である十字架の苦難を全否定するような内容を勝手に事実であるかのように断定して良いのだろうか。客観的に見て、1700年前のカイン派グノーシスに属すると思われるグループによる文書を解読したに過ぎない。ユダの福音書については紀元後2世紀ごろに教父エイレナイウスによって既に反駁されている。そのことには全く触れていない。
つまり、歴史的に異端とされ議論の余地がない内容を何の検証も無く事実として発信しているのだ。明らかに間違った内容を掲載している。日経ナショナル・ジオグラフィック社はいち早く訂正すべきであろう。
現代のキリスト教信仰は、現代に蘇ったグノーシス的な陰謀論によって破損される危機にある。イエスの歴史性を否定し聖書はフィクションだとする陰謀論を主張する陰謀が横行している。信仰を持つ人は、それらの「俗悪な無駄話(テモテ?6:20)」に気を取られることなく互いに信仰を励ましあい主の道をまっとうすべきだ。
人々を不信仰の方へ誘惑し、聖霊を冒涜する罪について主イエスはこう警告された。
「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。(マタイ18:6)」
「だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、"霊"に対する冒涜は赦されない。(マタイ12:31)」
罪には必ず主の裁きがあることを忘れてはならない。