ついにヨハネの前に立ち、二人の目が合った。イエスはヨハネの目から燃えたぎる炎のようなものを見てより熱くなった。ところが、強いショックを受けているのはヨハネだった。ヨハネの目がイエスの目に釘づけされ、あっけにとられ、茫然としていた。ヨハネの弟子たちは、いまだかつてヨハネがこのような表情をしたことがないので、何がおこっているのかいぶかった。男と男の決定的な出会い、世紀のコンタクトが起こった。この瞬間、イエスはもとの自分に帰ることはありえないことを察知した。
「ヨハネ。あなたはわたしを思い出せますか」
ヨハネは我に返って、「お前は従兄弟のイエスじゃないか」
「今、わたしにバプテスマを授けて欲しい。弟子にして欲しい」
「まあ、待て。ひさしぶりの再会だ。ゆっくり話そうではないか。話したいことは山ほどある。」今まで求めるすべての者にバプテスマを授けたヨハネは、はじめてちゅうちょした。「今は授けるな」、ヨハネの心がそう命じていた。
この出会いはイエスを揺さぶっただけではなく、むしろヨハネの心に激震を走らせ、彼の期待に火をつけたのだ。
ヨハネは「罪を赦すための悔い改めのバプテスマを授ける」ことが、第一番目に取り掛かった仕事であった。しかし、それ以上に重要な使命が託されていたのだ。それは、来るべきメシヤの先駆者になることであった。ヨハネの登場とその仕事は預言者イザヤによって予言されていた。
荒野で叫ぶ者の声がする。
主の道を用意し、
主の通られる道をまっすぐにせよ。
すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、
曲がった所はまっすぐにうなり、
でこぼこ道はたいらになる。
こうして、すべての人が、
神の救いを見るようになる。
救いは近い。メシヤはもうすぐに現れる。「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。」これこそヨハネのメッセージの中核であった。悔い改めはメシヤを迎えるための信仰的な準備であったのだ。
荒野にいたヨハネはメシヤの登場が眼の前に置かれていることを切実に感じた。だから、ヨハネは人々の前に姿を現したのだ。「今にも現れる」、その感覚は現実感をともなっていた。内面の迫りくる緊迫感は日増しに強くなってきた。
ついに、荒野でメシヤを待望していたヨハネに神のことばが下ったのだ。
立ち上がれ。ヨハネ。お前の時がきた。メシヤが登場する日は間近だ。今こそ、民衆の前に姿を現せ。お前こそイザヤが予言した荒野で叫ぶ声だ。メッセージを語り告げよ。
救い主を待望していた民衆はヨハネこそメシヤだと思った。人々は、口々に「もしかしたらこの方がメシヤではあるまいか」と話しあっていた。それは一般民衆だけではなかった。細心の注意を払う律法学者も、決して過ちを犯したくないパリサイ人も、神殿宗教の権威を握っていた祭司長たちも、ヨハネこそメシヤではないかと思っていたのだ。権威者たちが、祭司とレビ人を遣わして「あなたはメシヤですか」と、直接ヨハネに尋ねさせるほどであった。
「私はメシヤではない」。ちゅうちょすることなくズバリ答えた。彼は誰よりも自分を知っていた。自分が誰であるかも誰でないかも知っていた。自分は真の光ではなく、真の光を証するために生まれ、召されたのだ。人気が絶頂に達し、大きな期待を人々からかけられようともヨハネは混乱することはなかった。しかし、ヨハネは大きな問題を抱えていた。それは、肝心の「誰がメシヤなのか」を知らなかったことだ。
間近に迫るメシヤの到来を叫ぶ本人が、そのメシヤを知らなかったのだ。多くの情熱に燃えた若い信仰者が弟子入りしてきた。清く気高い若者たちは大勢いた。知性的にも信仰的にも霊的にもメキメキと頭角を現す者たちもいた。しかし、誰ひとりメシヤではないことはヨハネの目に明らかであった。
いつ、メシヤに出会うのだろうか。すでに生まれ、すでに成長し、すでに成人し、すでにイスラエルのどこかにいることは確かなのだ。しかし、ヨハネはそのヒントになるような人物にも出会わず、うわさすら聞いていないのだ。「メシヤよ。あなたは一体どこにいるのですか。その姿を現してください。」と、彼の魂はうずいていたのだ。
イエスを見たとき、その眼の奥からその深みから光るものを見た。イエスの目に自分の存在すべてが吸い込まれた、そのように感じた。「メシヤだ。」と心が叫んだ。
しかし、ヨハネはこのことに関しては極めて注意深かった。我に帰ってみると、そこに立っているのは自分の従兄弟であり、無学なナザレの大工であり、よく知らない男であった。
はやとちりしてはいけない。間違えることは許されない。これだけは間違えるわけにはいかない。幸い、イエスは弟子入りを希望してきた。この男と親しく過ごし、見極める時間は十分あった。「あわてるな、ヨハネ。時間はあるぞ」。自分に言い聞かせた。
再会の夜、二人の会話は延々と続いた。「お前から話を始めろ」というヨハネに、イエスは幼少時代から青年時代から今に至るまで自分の物語を話した。仕事のこと、家族のこと、父の死のこと、信仰のこと、懐かしさがこみあげてきた、一つ一つのエピソードを深く味わいながら話した。ヨハネは一言も聞き逃すまいと聞いていた。メシヤかもしれない。その証拠を聞き逃してはならないのだ。
また同時に、六カ月年下なのに、あたかも十歳年下の弟の話を聞いているかのように感じた。しかし、それはまさしく男と男の触れ合いであり、ヨハネの心の深みで火花がちった。彼の魂は、荒野で神のことばが下ったときのように燃え上がった。
ヨハネが話す番がきた。
お前も知っている通り、父ザカリヤは俺が八歳で、母エリサベツは十二歳で死んだ。何しろ、俺は両親が六十代になって生まれたのだから。死ぬ前に父は友人と約束していた。母が死んだ時点で養子になる約束が交わされていたのだ。母の葬儀が終わって,俺は養子になった。
養父になったシメオンは信仰熱心で学問を積み、またそれなりに裕福な男であった。父はこの男を認め高度な教育を期待して俺を預けたのだ。シメオンは独身であり、また独身主義者でもあった。世の終わりが近い。メシヤは今にも登場する。それで全生涯を神にささげていたのだ。しかし、男子を養子にしたいと切望していたのだ。父とシメオンの願望がぴったり一致したというわけだ。
一年ほどエルサレムの家で生活したが、父ザカリヤに輪をかけて教育熱心だった。厳しかった。厳しく教え込まれたが、俺には楽しかった。彼は、俺が特別な少年で特別な仕事を神のためにする、とすぐに思い込んだのだ。お前には、知力、精神力、霊力がある、お前はただのイスラエル人ではない、などと絶えず口にしていたのさ。
十三歳になったとき、彼は自分の家を売り払い全部献金して俺を連れてユダの荒野に来た。それは死海のほとりクムランにあるエッセネ派の修道所だった。養父のような男たちが40人も集まって共同生活をしていた。
俺のほかにも三人の少年がいてそれが一番楽しかった。エッセネ派の男たちはみな独身だったが、男児を養子にしていた。赤ん坊もいた。捨て子の赤ん坊を探してきては、ここで修道士に育てていた。もちろん男の子にかぎったのだが。
とにかくここに13年間も過ごした。毎日同じことの繰り返しだったが、あきることはなかった。
子どもたちは朝5時に起きてすぐに沐浴する。次の一時間は祈り、それから掃除に朝食、午前中3時間はクラスが当てられた。聖書、光の子と闇の子物語、律法、規則書、みっちり教え込まれた。午後は畑仕事だ。自給自足だったからね。
大人たちは写本をしていた。後代にメッセージをのこさなければならない、というのが彼らの口ぐせだったよ。終末は近い。滅亡が迫っている。我々はいずれローマに滅ぼされるだろう、しかし神のことばをのこさなければならない、とね。
写本の前には祈り、それから沐浴、それから祈り、とにかく祈りと沐浴をくりかえしながら写本をした。神のことばを一字でも間違って書き写してはならないから丹念にことを進めていた。
話を聞きながら、イエスは学問的な遅れを感じた。ヨハネが若い時から献身と学問の世界に身を置いたのに比べて、大工仕事や農業などの労働に明け暮れしなければならなかった自分の遅れを感じた。それでも時間を見つければシナゴグで聖書を読み勉強を重ねてきたが、よき教師はおらず独学を重ねるほかなかった。
勉強しなければならない、学びに没頭してみたい、イエスはそう思った。しかし、それは今始まったのではなく、若き時から熱望したことだった。
少し寝よう、とうながされて横になったもののイエスの心は興奮していた。希望で燃えていた。何かが大きく変わろうとしていくのを感じた。
それからの二年間、イエスは幸福だった。ヨハネは次から次へと読み物を手渡した。もっとも貴重なものはイザヤ書写本だった。これを全部暗誦しろ、とくにこの個所からだと言って指さしたのは「慰めよ、わが民を慰めよ」から始まる主のしもべの歌と呼ばれる個所だった。とにかく、イエスはむさぼるように読んだ。夜を徹して学んだ。ヨハネはイザヤ書をことさら話題にした。ヨハネはイエスの吸収力の速さに驚いた。神のことばがイエスの心の羊皮紙に写本されていくようだった。
荒野で呼ばわる者の声・・・ほふられる子羊・・・。 (次回につづく)
平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。