6月も半ばに入りいよいよ梅雨の季節になりました。これからしばらくの間、雨の多い日が続くことになるわけですが、このうっとうしい季節をいかに楽しく過ごそうかと巷では色々な商品が生み出されているようです。雨は多くの人にとっては、あまり嬉しくない天気のようです。なぜなら出かける際の足場は悪くなり、空気が湿って重く感じられ、何となくやる気も失せてしまうのでしょう。
私も雨の日の教会では、お祈りでうっかり「今日はあいにくの雨ですが…」と言ってしまいます。そして後から深く反省させられています。「あいにく」って一体誰にとってなのだろう?と。本当ならば「恵みの雨」と感謝するべきことなのに、教会にあまり多くの人が集まらないと、つい雨のせいにしてしまうのです。
外の雑音が耳に入って来ない雨の日に、ゆったりと部屋で過ごす時間や、人通りの少ない静かな通りに、紫陽花が咲いているのを楽しみながら歩くことが好きな私ですが、「雨の日にわざわざ何処かへ出かけようと思う人は少ない」と言う勝手な思い込みから、クリスチャンらしからぬお祈りをしていました。
そのように die Minderheit 「少数派」に愛される雨も、もちろん神様からいただいた恵みの一つなのです。
私たちがいつも明るく元気ではいられないように、時折降る雨も人が生きるために必要なのです。多くの人が知っているように長い間日照りが続いていては、農作物は育ちません。けれどもまた雨の日ばかりだとしても、作物は駄目になってしまいます。都会に住む私たちの暮らしもまた、晴れの日ばかりで静かな日がなかったとしたら、息が切れてしまいます。神様は私たちの暮らしの中に、あまり動かず静かにじっとしているような時間もきちんと備えて下さっているのです。
ドイツの6月は日本の梅雨とは違って、die Regenzeit 「雨期」ではなく eine beliebte Zeit 「皆に愛される季節」です。5月から7月まではちょうど日本の初夏のような気候が続くため、ドイツでは一番美しい季節と言われています。長かった冬が終わり、日差しも暖かくなりはじめ、ようやく軽装で出かけられるようになったこの季節、皆の気持ちも軽くなるのです。
ドイツで遭遇する雨は、日本でのように大粒の雨が一日中降っていることはあまりなく、Der Schauer 「にわか雨」や Das Gewitter 「雷雨」のように一時的にザッと降ると、しばらくしてやんでしまうものがほとんどです。だからなのでしょうか、ドイツでは傘をさしている人をあまり見かけたことがありません。彼らにとって雨はほんの一瞬のもので、濡れることも大して気にならないようです。
私が初めてドイツ語に触れてから20年余り経ちますが、いまだにドイツ語に悪戦苦闘しています。「昨日は良く話せたのに今日はどうも上手く表現できない」、そんな感じを持ちながらドイツ語を学び続けています。けれどもそのように感じることは決して特別なことではなく、外国語を学んでいる人であれば誰にでも起こり得ることなのだと思っています。ですから今も焦らず、結果だけを求めたりせずに楽しみながら学んでいます。なぜならドイツ語は、今もヨーロッパで話されている生きた言語なのですから。
こんな長雨の日々、明るく爽やかな音楽を聴きながら過ごすのも、晴れやかな気分になる一つの方法かもしれません。けれども視点を変えて、いつもの生活を少しスローダウンさせてみることも必要ではないでしょうか。この時季くらいは無理に周りに合わせることはしないで、自分のペースでゆっくりと過ごしてみてはと思うのです。そしてまた自分らしさを改めて発見する時間が作れたら、きっと新しい生き方も見つかるはず!です。
「雨の日もあれば、晴れの日もある」 私たちの人生って、そんなものだと思いませんか?このどちらの時も大切に生きてこそ、自分の人生が愛おしく思えてくるはずです。
キリストも十字架につけられる前には大変な恐怖に襲われたことが、聖書には書かれています。けれども祈りのうちに、心を静めてその覚悟をなされたのでしょう。
せっかく神様からいただいた「恵みの雨」なのですから、感謝して自分の心の声に耳を傾ける時間を持ちたいものです。
【by Tokyoterin - 東京在住の女性クリスチャン】