「愛はすべてをがまんし、愛はすべてを信じ、愛はすべてを期待し、愛はすべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(Iコリント13:7−13)
昔、ギリシャにピグマリオンという若い彫刻家がいました。彼は大理石で、美しい女性の像を造り上げました。そして彼は、自分が造った彫像の女性を恋するようになり、朝に夕に彼女のことばかり思うようになりました。そこでビーナスが、その彫像に生命を吹き込んで生身の女性とし、ピグマリオンの恋は実った、という話です。
この神話に感動したジョージ・バーナード・ショー(イギリスの彫刻家)は"ピグマリオン"という戯曲を書きました。ヒギンズ教授がロンドン子特有のなまりを持った花売り娘を、ことばを直すことによって、淑女に変える話です。その後、この物語は"マイ・フェア・レディ"というミュージカルになり、大ヒットしました。
医者がこの患者の病気は必ず治ると期待すると快復が早くなる、ということはよく知られています。心理学者は、こうしたことは現実に起こる、と言っています。他の人から期待されると、だれでも、それまでとは違った行動を取るようになるのです。そして、期待した通りの人間が生まれるのです。期待には、大きな力があります。
ラ・マンチャの男ドン・キホーテは、ある売春宿で一人の女に出会いました。彼は彼女に"お嬢さん"と優しく呼びかけほめたたえました。目は血走り、胸はほとんどはだけ、口を開いた彼女は彼に流し目を送りながら、嘲るような不信に満ちた声で叫びました。"私が、お嬢さんだって! 私はね、排水溝で生まれたんだよ。母が私を置き去りにしてさ。裸で寒くて、あんまりひもじくて、声も出せないでいたそうだよ"ラ・マンチャの男は、それでも彼女を見つめ続け、彼女の最善を信じ続けました。"あなたの名はアンサンドラではありません。私があなたに新しい名をつけてあげましょう。あなたはお嬢さんです。あなたの名は『ダルシニア』これがあなたの新しい名です"
その直後、彼女は手荒な旅人に家畜小屋で乱暴され、狂乱の態で再び現われますが、ラ・マンチャの男は彼女の美しさと善を信じて疑いませんでした。しかし傷つけられ、押しつぶされ、自己嫌悪に陥っている彼女は、彼に向かってなお叫びました。"私をお嬢さんなんて呼ぶんじゃないよ! おい、私を見つめないでおくれ! 私はね、ただ下品で汗にまみれた、ふしだらな女なんだよ! 男たちが遊んでは忘れてしまう売春婦さ! 私はただのアンサンドラさ。それ以外の何者でもないよ!"彼女が興奮して叫んでも、彼は"お嬢さん!"と呼びかけました。どんなに悪態をつかれても、彼は新しい彼女の名前『ダルシニア!』と呼びかけ続けました。
この劇の結末で、ラ・マンチャの男は失恋のために死にかかっています。その時、とても美しいスペインの貴婦人が彼の側に近寄って来ました。彼は"あなたはどなたですか"と、死につつある人間のか細い声で尋ねます。彼女は、彼の側にひざまずいていましたが、立ち上がり、高く立って、女王のような気高い声で"私の名は、私の名は、私の名は……『ダルシニア』!"と告げたのです。
期待することはすばらしいことです。期待は完全な業をします。自己を嫌悪し、自分を責めていた彼女でした。しかし、ラ・マンチャの男の期待通り、彼女は美しく健全で愛らしい貴婦人に変わったのです。
あなたの回りには、人をけなし、批判し、皮肉り、馬鹿にする人は沢山いるでしょう。けれども、人に期待し、人の徳を高め、愛し、理解し、賞賛する人は何と少ないことでしょうか。あなたも、ラ・マンチャの男のような人になれるのです。
永遠のベストセラーである聖書は、こう言っています。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して、絶えることがありません。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(Iコリント13:1−13)
まさしく愛はすべてを期待する源なのです。
ロバート・ブラウニング(詩人)が、エリザベス・バレット(詩人)に示した愛は、彼女にとって生きて行く心の支えでした。
エリザベスは、十一人兄弟の中で、暴君的な父親に抑えつけられて育ちました。長年にわたり、父親から厳しい監視を受けたので、弱々しく感じやすいエリザベスは、次から次へと病気が絶えず、ほとんど病床についたままの毎日でした。
こうした生活のまま四十歳近くになった頃、彼女はブラウニングと出会いました。それは、彼女がブラウニングの詩に感動し、手紙を書いたことから始まったのです。ブラウニングは初対面のエリザベスを、中年の病身女と見ませんでした。反対に、美しく才能豊かで、真っ暗な部屋から太陽の輝く戸外へ歩み出たいと待ち構えている、すばらしい精神の持ち主として受けとったのです。ブラウニングはエリザベスを愛し、彼女がすぐれた詩人として成長できるように手を貸したいと申し出ました。エリザベスはこの申し入れにすっかり引きつけられてしまいました。ブラウニングはエリザベスの健康が回復するように取り計らい、やがて二人は結婚しました。ヨーロッパ大陸を旅行し、彼女は四十三歳の時子供を出産し、丈夫に育ちました。
芸術的に際だって優れていたエリザベスは、ポルトガル語からの十四行詩集(Sonnets From The Portguess 一八五〇年)のような、婦人の愛をこれほど美しく表現したものはない、と言われる作品を生み出しました。
ブラウニングのような人は、そのままでいるときっとダメになってしまう人を、暗闇から輝きの中に連れ出す働きをする人間なのです。あなたの回りに、あなたの期待を求めている人がきっといるはずです。あなたの子供かもしれません。あるいは、もう何年もやさしい言葉のひとつもかけていないあなたの奥様(主人)かもしれません。会社の社員でしょうか。あるいは、いつも顔を合わせる隣人や、同僚、見ず知らずの行きずりの人であるかもしれません。
「期待」はあなたの人間関係に奇跡を呼び起こします。期待の影響力は、極めて大きいのです。「期待」には人にやる気を起こさせる力があります。
ニューヨークのある一流の保険会社で、セールスマンを能力に応じてグループ分けしました。トップ・グループには、腕ききのマネージャー、中程度のグループには、平均的なマネージャー、販売成績の良くないセールスマンのグループには、あまりぱっとしないマネージャーをつけました。その結果は明白でした。トップ・グループのセールスマンたちは、自分たちの従来の実績以上の成績を上げ、会社が割り当てた目標額を突破しました。ここでもやはり、自分たちはすばらしい成績をあげるだろうと期待されていたことが、決定的な理由だったのです。
しかし、「期待」には消極的な面もあることを知らなければなりません。ある年のクリスマスに、教会で牧師たちが信者たちに新しい年に対する期待を書かせました。そして封筒に入れ、来年のクリスマスに皆で集まり、開封することを約束しました。一年が過ぎ、再びクリスマスが巡ってきました。人々は自分たちが書いた「期待」の入った封筒を開けて公表しました。そのほとんどは、実現していたのです。最後に二通の封筒が残りました。その中の一人はすでに死んでいたので、牧師は皆の許可を得て、その封筒を開きました。そこには、恐ろしいことに"私は新しい年の内に死ぬだろう"と書かれていました。だから、マイナスの「期待」をしないように気をつけなければなりません。ある調査によると、親が無意識のうちに、うちの子は成績が悪くなるのではないかと案じていると、案の定、その通りになるケースが少なくないそうです。
「期待」とは、それがプラス・マイナスどちらの働きをするにせよ、そのすべてがあなたの心の中で磁気を帯び、あなたの「期待」通りのものを引きつけてしまうのです。だから、あなたの回りにいる人々のためにも、良い「期待」を持つようにして下さい。
「期待」は人に影響を与えるということから話してきましたが、自分に対する「期待」についても考えてみましょう。あなたは自分にどれくらい「期待」していますか。自分に対する「期待」を持てないと、人に「期待」することもできません。自分に対する「期待」は、自信を持つこと、自分に勝利すること、熱意を持って生きることと、大いに関係があります。
ここでちょっとした秘訣をお教えします。それは鏡を使う技術です。鏡は、朝ひげを剃り、化粧をする道具だけにしておくにはもったいない秘密兵器です。言い尽くせないほどの苦悩を胸に秘めて、救いを求めて私のところにたくさんの人が来ます。特にご婦人は、泣きじゃくりながら悩みを訴えます。そんな時、私は等身大の鏡の前に立たせて、ご自分の姿をよく見てもらうことにしています。そこに何が見えるか、打ちひしがれた泣きべその顔か? それとも悩みに雄々しく立ち向かうジャンヌ・ダルクのような勇気ある女性か。女性は自分の姿を鏡に映してみると、少なくとも泣くことはできなくなるようです。それは自尊心のためか、恥ずかしさのためか、それとも醜さを見せたくないからか、いずれにせよ、鏡に向き合うと最高の顔になるのは事実なのです。
鏡を使う時、そこに映っている自分に向かって「期待」の言葉をかけるのです。"おまえはすばらしい男だ。ハンサムで上品な紳士だ。今日も、おまえに期待している人がたくさんいるのだ。さあ勇気を出して、熱意に燃えた心と、態度で出かけよう"なんでもいいんです。自分に「期待」の言葉をかけることです。あなたが女性なら"私は美しい。ほほえみと笑顔は私のモットーです。やさしい言葉は私の信条です。今日も私は素敵に輝いています"と、「期待」の言葉をいっぱい語りかけて下さい。
また、鏡を使う時、自分の目をしっかり見る習慣をつけることです。目は心の窓で、あなたが心で考えていることを外に現わします。あなたの値打ちを決める正札は目なのです。この鏡の技術で、あなたの目をチャーミングにし、生き生きとした目にして下さい。鏡を用いると、あなたの目には何ものをも貫いて、すべてのものを奥まで見通すような深い目になります。相手の人は、自分の魂の底まで見透かされるのではないかというような気持ちになるものです。そうしていつの間にかあなたの目には、強い迫力がこもり、"期待しているよ"という一言が、より「期待」に満ちたものとなるのです。さあ、今日から鏡をもっと活用して下さい。
あなた自身に期待しましょう。そうすれば、あなたはいきいきと生きることができます。人生を変えるような期待を自分に寄せて下さい。
あなた自身に期待しましょう。そうすればどんな偏見にも打ち勝つことができます。たとえ高等教育を受けていなくても、体に欠陥があっても、自分に期待する人が最終的な勝利者になるのです。満面に笑みをたたえて、キラキラ輝いて、生きるのです。幸せな人生に期待しましょう。
あなた自身に期待しましょう。そうすればあなたの夢は実現するでしょう。あなたが自分自身に期待することができれば、視野が広がり、達成の意欲は湧き、成功は確実にあなたのものとなります。
あなた自身に期待しましょう。そうすれば心が広くなり、楽しい人生を生きることができるでしょう。
あなたが人の気持ちを明るくさせ、親切で熱心で、楽天的な人でしたら、きっと多くの人の心を喜びで満たし、偉大な人生を生きることができます。期待して、自分の心を毎日、広い愛で満たして下さい。
あなた自身に期待しましょう。そうすれば人を許すことがやさしくなるでしょう。許すことは人生を豊かにします。自分に期待する人は、他の人にも寛大です。仏の顔も二度、三度というような有限の許しではなく、七度を七十倍するほどの無限の許しを体験して下さい。
あなた自身に期待しましょう。そうすればあなたもまた受け入れられる喜びを体験するでしょう。
人を批判し、非難することが、あなたから寛容さを奪い、愛を削り取っていくのです。あなたが、誰かを無条件で愛するなら、同じように愛してもらえるでしょう。あなた自身に期待しましょう。そうすれば人もあなたに期待するでしょう。なぜなら、健全な期待のある所に、健全な関係が生まれるからです。
さあ、大きな期待で一日を始めましょう。自分自身に対する期待と、回りにいるあなたの大切な人々を期待で包み込んで下さい。きっとすばらしいピグマリオン効果が現われます。
一文無しのときには、心もめいる。厚い雲は暗く空を覆い、日の光をさえぎる。
すばらしいことだ。兄弟、そんなとき、仲間として、人があなたの上に手を置くことは。
奇妙な気持ち、涙が頬を伝い始める。舞い上がるものを、心の中に感ずる。
顔をあげて、彼の目を見ることができない。なんと言っていいのかわからない。
仲間としてその手が、あなたの上に置かれたとき。
世界は不思議な組み合わせ、甘い蜜と苦い胆汁。心配と苦悩があっても、結局はいい世界。
神が造られた世界だから、少なくとも私にはそう言える。
仲間として手が、肩に置かれたとき。
期待こそ、人生最上の力、奇蹟の源、あなたに期待します。
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書「輝き・可能性への変身」(2000年、プレイズ出版)は、同師が「ラジオ番組 希望の声」シリーズとして出版したもの。机上の空論ではなく、著者自身がその生涯において実現し、今も継続している生きた証しを紹介している。