心配事の尽きない現代社会に生きる私たちは、何を支えに、何に期待して生活すればよいのでしょうか。
聖書が全人類に語る福音を、アウトラインで説明すると、①世から神に立ち返り、②自分の思いではなく神の御心に従い、③暗闇の民でなく神の民に加えられ、④悪魔の子ではなく神の子とされ、⑤地に下るのではなく天の御国へ入れられる、⑥全ては、私がイエス・キリストを信じることで実現される――となります。
1. 終わりの時とあざける者
愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現れる。」この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。(ユダ17〜19)
「終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖(12部族長)たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか』」(2ペテロ3:3、4)
現代にも、キリストの教えを、単なる教養や倫理道徳とする考え方を持ち、聖書の語るキリストの初臨も再臨も、科学的でないと否定する人々がいます。
17節を、ギリシャ語原典を加味し、霊的な意味合いで解くと「イエスから互いに愛し合うよう命じられた、イエスの弟子である人々よ。私たちを召した主であり待望のメシヤであるイエス・キリストから特別に選ばれた使徒たちが、前もって預言した言葉を思い起こしてください」となります。
18節を、引用聖句を加味して解くと「彼らはあなたがたに前もって言いました。世の終わりの時には、不信仰により、不敬虔な欲望に従って生活するあざける者どもがやって来て、教会に現れる」となります。
19節を解くと、「あざけるこの人たちは、御霊をうちに持たず、新生しておらず、キリストの来臨など無いと言って、教会内に分裂を起こす、動物と同じ生まれつきのままの人間です」となります。
2. キリストのあわれみと聖霊
しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。(ユダ20、21)
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)。聖霊により、目に見えない、聖い神の愛を信じます。
20、21節をギリシャ語原典と引用聖句を加味して解くと、「しかし、愛し合う人々よ。教会の中でキリストの来臨を否定する、あざける者どもが数多く現れても、あなたがたは、自分の最も聖い信仰を土台に信仰の成長を目指し、うちにおられる聖霊によって祈り、聖霊によって心に注がれた神の愛のうちに自分自身を保ちなさい。彼らの誘惑の中にあっても、私たちを永遠のいのちに至らせる、主イエス・キリストを信じ続けられるようにと、主のあわれみを待ち望みなさい」となります。
3. 火の中から救う
疑いを抱く人々をあわれみ、火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。(ユダ22、23)
「主は私に、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右手に立っているサタンとを見せられた。主はサタンに仰せられた。『サタンよ。主がおまえをとがめている。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめている。これは、火から取り出した燃えさしではないか。』ヨシュアは、よごれた服を着て、御使いの前に立っていた。御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。『彼のよごれた服を脱がせよ。』そして彼はヨシュアに言った。『見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう』」(ゼカリヤ3:1〜4)
紀元前500年、ユダ族の預言者ゼカリヤに与えられた預言では、大祭司ヨシュアには不信仰の汚れがありましたが、彼は試練の火の中で燃え残った燃えさしのような、残された神の民であったので、主のあわれみにより、汚れた服から聖い服に着せ替えられました。
22、23節を、引用聖句を加味して解くと「あざける者どもに誘惑されて福音に疑いを抱く人々をあわれみ、彼らを試練の火の中から一生懸命救い出し、また、彼らに下る天罰に恐れを感じながら彼らをあわれみ、肉欲によって汚された行いさえも忌みきらいなさい。彼らを悔い改めに導き、主イエス・キリストのあわれみによって罪を赦(ゆる)していただき、聖い服に着せ替えられ、永遠のいのちに至る者とされるようにしなさい」となります。
まとめ
旧約聖書における12部族の預言者たちや、新約聖書における12使徒たちにより、主は終わりの日、終わりの時について戒めを与えられました。
終わりの日、終わりの時には、自分の不信仰による不敬虔さにより、欲望のままに生活し、神と神の民をあざける者どもが現れます。ですから、あざける者たちが教会に来たときに、使徒と預言者の語った世の終わりの時代に起こることを思い出す必要があるのです。
教会をあざける者たちは、御霊を持たず、生まれつきのままの人間で、教会の中に分裂を起こします。故に、聖い信仰の土台の上に信仰を成長させ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分を保ち、永遠のいのちに至らせる主イエス・キリストのあわれみを期待し、信仰生活を送ります。
教会では、試練の火の中にいる人々を励まし、彼らの不信仰を悔い改めに導き、滅びから救い出します。私たちは、罪による滅びを恐れ、誘惑の試練の中にいる人々をあわれみ、主イエス・キリストのあわれみによる救いに期待します。
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