栃木市に拠点を置く伝道団体「あどない・いるえ伝道協会」(代表:藤正信牧師)が昨年12月、パキスタン北東部の都市ラホールを訪れ、周辺の6つの教会を巡る宣教旅行を行った。同協会は、パキスタンの孤児や貧しい子どもたちを支援する活動を行っているが、宣教目的で訪問するのは今回が初めて。子どもを含む700人以上に祈りの奉仕をし、御言葉を伝え、賛美し、証しを分かち合ってきた。
パキスタンは、人口の約95パーセントをイスラム教徒が占めるイスラム教国。そのため、現地のクリスチャンは宗教的差別に苦しみ、厳しい環境に置かれている。
「イスラム教国のパキスタンには厳しい宗教的差別があり、幼い時から『クリスチャンは敵だ』と教育されており、悲しい事件も起きています。クリスチャンは良い仕事に就けず、ゴミ拾いや掃除人、家政婦として働いているケースが多いです」。藤牧師はそう言い、「パキスタンの兄弟姉妹を覚えて祈ってほしい」と話す。
それでも現地には、主に期待して集会に来るクリスチャンたちの姿があった。藤牧師らが参加した集会は、屋根のない建物の屋上で行われることもあったが、近隣の住民が賛美に耳を傾ける場面もあったという。
「妻が、病気や痛みを覚えている女性と子どもたちのために、一人一人に手を置いて祈りました。膝の痛みが癒やされた女性もいて、神様の力が働いているのを感じました。パキスタンでは女性の地位が低いです。ネパールでもインドでもそうでしたが、女性はほとんど祈りのミニストリーを受けたことがないと感じています。そのため、妻は主に女性と子どもたちに祈りの奉仕をしました。祈る相手のニーズは妻には分からないので異言で祈りました。多くの女性が主に触れられていました」
ラホールのスラム街近くには、あどない・いるえ伝道協会が支援する「青空学校」があり、家庭の事情で学校に行くことが困難な子どもたちが学んでいる。その一人であるハリー・フィリップ君(13)は将来、牧師になる夢を持っている。父親は脳梗塞で半身不随、妹はダウン症という状況の中、ハリー君はヤングケアラーとして苦労を重ねながらも高校進学を目指している。
パキスタンでは高校に通うのに毎月1万パキスタンルピー(約6千円)以上の学費が必要だが、その額は現地の貧しい家庭には重すぎる負担だ。また、ハリー君のような家庭事情があると、学業よりも生活費を稼ぐことが優先されてしまう。
あどない・いるえ伝道協会は、ハリー君が高校に進学できるよう、毎月2千円ずつ支援してくれる人を20人募集している。また、高校卒業後には、2023年に開校したあどない・いるえ神学校で受け入れることも考えている。
藤牧師らが訪れた現地の教会はいずれも貧しく、ハエが飛び回り、排気ガスや排水の臭いが漂うような場所もあった。ある小さな村では、地面にじゅうたんを敷いて集会を行った。そうした中でも現地のクリスチャンたちは、藤牧師らに花の首飾りをかけ、入場時には花びらを振りまくなどして大いに歓迎してくれた。
教会リーダーのための聖書セミナーも盛況だった。「セミナーは夜7時を過ぎてから始まりましたが、後半になるほど参加者が増えてきました。貧しくても、子どもを含め、飢えたように御言葉を求める姿に深く感銘を受けました」
一方で、イスラム過激派による教会の焼き討ちや暴行事件は後を絶たない。「警察が動かず、現地のクリスチャンたちは悲痛な叫びを上げています。それでも彼らは主に望みをかけ、必死に祈り、賛美しているのです」
今回の訪問を通して、過酷な環境の中にあっても「本物の賛美と証しは、人々を力強く励ます」ことを改めて確認できたと藤牧師は言う。
「都会の大きな教会だけでなく、まだ十分な楽器もない教会、また、ハエが飛び回るような劣悪な場所にこそ、主を心から賛美する働き人が求められています。彼らの多くは経済的に貧しいかもしれませんが、神様への賛美は本当に豊かです。『ただで受けたのだから、ただで与えなさい』という主イエスのお言葉通りの姿勢を持った人材が、これから日本でも用いられていくのではないでしょうか」
藤牧師は、現地の貧しい子どもたちが、何とか自給自足で生活できるようにと考えている。
「今の青空学校はイスラム教徒が多く暮らす区域にあり、土地も借り物ですから、いつ出ていかなければならなくなるか分かりません。できれば田舎に土地を確保し、畑で野菜や果物を育て、鶏やヤギを飼うことで、子どもたちが自然の中で学べるように祈っています」
厳しい宗教的差別がある国で、困難な家庭環境の中にあっても、将来への夢を抱き、主に信頼して生きるハリー君のような若い世代の存在は、日本の教会にとっても励ましとなる。また、信仰によって生きる彼らの姿は、日本のクリスチャンにとって大きなチャレンジにもなる。
藤牧師は、2週間近くにわたったパキスタンでの宣教旅行を振り返り、次にように語った。
「今回の宣教旅行で見聞きしたことは、私自身にとっても大きな学びでした。イスラム教徒から敵視される厳しい状況の中でも、彼らは神を信頼し、礼拝をささげていました。孤児たちの将来のために、日本から協力できる方法は多くあります。主が『最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです』と語られているように、私たちも隣人を愛し、祈り、具体的な支援をしていきたいと願っています」