カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。この人は・・・イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。・・・イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。・・・しもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。(ヨハネ4:46~51)
信仰は過去のものではなく、信じるなら今も信仰の恵みが現されます。イエス様こそ真の救い主であり、今も生きて働かれる癒やし主であるからです。私たちがどんなに危機的状況にあっても、救い主であるイエス様に助けを求めて祈ろうではありませんか。
そして私たちクリスチャンは、良いことのために生きているのですから、ピリピ人への手紙2章13、14節にあるように、神様からの志、ビジョンが与えられる約束を信じ、祈りながら良いことを行動に移していこうではありませんか。
今日の聖書箇所は、イエス様がガリラヤのカナで現された癒やしの物語です。この物語の中で注目したいのは「信じる」というお言葉です。信じるといってもいろいろな信じ方があります。あなたはどのように神様を信じますか。今日はこの聖書箇所から、4つの信じるポイントを確認したいと思います。
1. 見世物を喜ぶような信仰ではなく!
役人がイエス様に癒やしを願うと、イエス様は人々に「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない」と言われました。私たちは、人々が驚き興奮するようなイリュージョンや奇跡を見たら信じる、野次馬の信仰にとどまらないようにしましょう。
奇跡を見て驚嘆、興奮し、ただ自分の気持ちを満足させるだけでは、信仰とはいえません。
2. 救い主、癒やし主の御言葉を信じてみよう!
私たちが信じるものは聖書の御言葉です。役人は諦めずにイエス様に願い求めました。すると、イエス様は「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています」と言われたのです。
彼はイエス様から言われた言葉を信じ、帰途についたのでした。私たちも「わたしは主、あなたをいやす者である」(出エジプト15:26)と語られた変わらない神の言葉を信じようではありませんか。救い主、癒やし主である、神なるイエス様の御言葉を信じることを忘れてはなりません。
3. 自分の信仰を信じて行動してみよう!
50節に、男はイエス様の語られた言葉を信じて帰路についたとあります。彼は「息子が直っている」というイエス様の言葉を素直に受け入れ、自分で信じて行動したのです。
クリスチャンである私たちも、信仰を他人任せにしないようにしましょう。牧師や周りの人が信じればいいのではなく、自らが聖書の御言葉を素直に受け入れ、自分が信じる者であることが大切なのです。
4. 信仰による癒やしを実体験しよう!
信仰による癒やしは、主イエス・キリストによって起こされます。力の出所はイエス様であることを信じて、イエス様による癒やしを与えられようではありませんか。
イエス様が「直っている」と言われた、ちょうどその時、その御言葉を信じた結果、息子が癒やされていたことを知り、家の者も全員がイエス様を信じたのでした。私たちもイエス様ご自身を信じる信仰が本当に癒やしをもたらすことを体験してまいりましょう。
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