彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。(使徒2:42〜47)
先週は祈りと賛美のある日常を取り戻そうとお話ししました。今日はその延長線上で、神の祝福をもたらすクリスチャン生活はどういうものか、基本となる5つの柱を分かち合いたいと思います。
使徒の働きの時代には、私たちが絵に描くような教会はありませんでした。しかし、彼らは本当の意味で教会でした。聖霊が下った彼らには、信仰のある生活があったからです。これが本物の教会だったのです。クリスチャンは、信仰が生活に生きてこそ本物なのです。
1. 御言葉と教えのある生活!
この時まだ新約聖書はなく、旧約聖書やイエス様から直接教わった使徒たちの教えが信仰生活の中心でした。彼らは使徒たちの教えをよく聞き、実行しました。
私たちも自分の思いつきではなく、神の言葉である聖書を軸として歩んでまいりましょう。
2. 喜びと真心のある交わり!
私たちが大切にしたいのは、主にある兄弟姉妹たちとの交わりです。今、特にコロナの悪影響でバラバラになる時代が生み出されています。交わりのない生き方はクリスチャンの生き方ではありません。教会につながる以上、一人ぼっちや孤独と完全に縁が切れます。
私たちは、互いに愛し、仕え、祈り、励まし合うのです。喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く神の家族と共に歩んでいくのです。この交わりを尊びましょう。
3. 祈りと聖餐のある日常!
42節に「パンを裂き、祈り」とあります。これが今の聖餐式の原点です。そのことを通して、イエス様の十字架を思い起こし、イエス様の命が私たちのために注がれたことに心から感謝していたのです。このように、彼らの生活の中には、神様と霊的につながるための祈りと聖餐があったのです。
私たちも祈りと聖餐を通して、神様との霊的なつながりを与えられましょう。
4. 一つ心で共に過ごす毎日!
46節に「毎日、心を一つにして宮に集まり」とあります。2千年前の彼らは教会も聖書も、クリスチャンの習慣も、何も定まっていませんでした。しかし彼らには、一つ心で共に過ごす、素朴な毎日があったのです。
今、世の中は “多様性” の時代といわれています。この言葉を、自分の身勝手やわがままを助長する論理として使ってしまうと、社会はバラバラになってしまいます。
教会は一つ心です。共に祈り、賛美し、奉仕しながら活動するのです。私たちは、一つ心で、キリストの体として、頭であるキリストに従っていく者でありたいと思います。
5. ささげ物で支えられた活動!
45節に「必要に応じて、みなに分配していた」とあるように、彼らは教会や貧しい人のためにささげることをちゅうちょしませんでした。パウロが世界宣教に行くときに、アンテオケの教会がささげたように、福音を宣べ伝えるため、弱い人を支援するためにささげたのです。
信仰は心の中の理想論ではなく現実です。実際の社会の中で生きて働く信仰の現れが教会です。この教会を共に支えていけることを感謝します。
5つの柱を生活の基本とし、シンプルなクリスチャンライフを復活させ、恵まれてまいりましょう。
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