ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。・・・娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」・・・十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と心のうちで考えていたからである。イエスは、・・・言われた。「娘よ。・・・あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。イエスはその管理者の家に来られて、・・・少女の手を取られた。すると少女は起き上がった。(マタイ9:18~25)
今回のインド伝道でも神の奇跡が現され、本当の意味での海外伝道の働きができたことを感謝します。今日も御言葉を通してイエス様が私たちに求めておられることをはっきりと理解できるように、イエス様に喜ばれる信仰を働かせることができるように導いてくださることを願います。
先日は松山市内で土砂崩れが起こりました。6年前にも西日本豪雨で被災し、最近は、洪水や土砂崩れの情報が頻繁に発せられるようになりました。しかし、多くの有益な情報があっても当事者意識が欠如していると、何の意味もありません。クリスチャンの信仰も同じです。神様は大切な真理を聖書に記し、教会でのメッセージや交わり、祈りや賛美を通して語られています。神様からの促し、励まし、戒め、知恵が与えられているにもかかわらず、当事者としてそれを受け取らなければもったいないことです。神の御言葉を当事者として受け取りましょう。
今日の聖書箇所は、素晴らしい2つの癒やしが同時に起こったことが書かれています。マタイの福音書では、山上の垂訓と呼ばれる5章に始まり、8章までイエスの言葉が語られ、イエスの奇跡が記録されてきました。そして、この9章でこの記者は、イエス様にはどんな病も癒やし、死人をも生き返らせることができると信じますか、とあなたに問いかけているのです。3つのことを確認しましょう。
1. たとえ人には不可能に見えても!
人には絶対にできないと思われる事態や病気であっても、あなたは、イエス様に願い求めるぐらい信じることができていますか。私たちはなぜ、自身の信じられる範囲に、イエス様が与えてくださる恵みの範囲を狭めなければならないのでしょうか。イエス様は、そうは言われませんでした。人間でも答えの出せる程度のことではなく、人間にはとても不可能と思えることまで求めるほどの信仰を持ちなさい、チャレンジしてみないか、と語っておられるのです。
2. どんな病気もきっと治ると信じて祈ろう!
ここに登場する女性のように、私たちも自分自身の病気に、イエス様が惜しむことなく癒やしの力を注いでくださり、きっと癒やされるということを信じて祈りたいのです。イエス様にすさまじい癒やしの力があるだけでなく、イエス様が、「あなたの信仰によって癒やされた」と言ってくださるほどの信仰が、この時、人々の中に働き始めたのです。私たちも、どんな病気であっても、「主よ!他でもないこの私を癒やしてください」と、必ず癒やされると信じて祈りましょう。
3. 信じる者に与えられるさらに大きな恵み!
12年もの間、病を患っていた女性は、イエス様の着物にでも触れさえすればきっと治ると信じ、着物の裾に触れた、その瞬間に、癒やされたのでした。癒やしを当事者として祈り求めると、信じる者にはそれ以上のさらに大きな恵みが現されます。会堂管理者の死んだ娘をも生き返らせるほどの奇跡を体験するのです。それが私たちの信じるべきイエス様です。求められているのは、当事者としての信仰です。どれほど深刻な問題でも祈り求めることをやめず、当事者としての信仰を持ち続けて祈るなら、驚くべき神の御業を見ることができると期待しましょう。
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