サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。・・・散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、・・・みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。(使徒の働き8:1~8)
今日の箇所で注目したのは、8節です。「それでその町に大きな喜びが起こった」。私たちは、このように喜びのあふれる教会をつくりたいと願います。
しかし、この1~8節までを見ると、どのような雰囲気だったでしょうか。この8章は、ステパノが殺された直後の出来事です。人々を愛し、仕え、教会のまとめ役として大活躍をしていた人物が、殺されてしまったのです。そこには死の悲しみがあり、絶望が漂っていてもおかしくありません。
すぐに激しい迫害が起こり、使徒以外は皆、エルサレムから逃げて行かなければなりませんでした。エルサレムに残れば、殉教の死さえ覚悟しなければならない状況でした。私たちが日ごろ口にするような迫害とは全く違うレベルです。命も奪われかねず、エルサレムから追い出され、教会がなくなるような散らされ方でした。
1. 状況は最悪でも勢いがある!
彼らは、命懸けで逃げました。最悪の状況です。日本の状況も、世の中の悪事はとどまることがなく、少子化で、特に東京での出生率は1を切り、0・99になったそうで、専門家は、人が集まっては死ぬ、死の街になりつつあると言っています。
孤独化する人が増えています。各地の集会後に皆さんとよく行くファミリーレストランが、ここ1~2年で大改装され、メインは横並びのカウンターのお一人様席。全然ファミリーレストランではなく、お一人様レストランになっています。
日本も最悪の状況かもしれません。しかしここでの教会には大きな喜びがあり、人々が増えていったのです。教会はキリストのからだであり、そこにいる人々は増えていくべきです。
2. 人々を引き寄せる神の御業!
彼らは御言葉を伝え、証ししながら散って行き、しるしや不思議、奇跡が次々に起こりました。取るものも取りあえず悲惨な状況の中で逃げていた彼らの元に人々が集まり、あふれていたのです。彼らの証しは人々を魅了し、祈れば奇跡が起こり、人々の人生が変わり、喜びがあふれたのです。
日本の教会が直面する難しさは山ほどあります。コロナの4年間は、歴史を振り返ると特別な出来事として記録されるでしょう。人間の社会生活が阻害されるようなことが起こり、以前は8千あった教会が、6千くらいに減ったのではないかといわれています。
しかし、そのようなマイナスの力があったとしても、それを超える神の力が現され、私たちがいる所は必ず喜びがあふれるのです。
3. リバイバルのために祈る!
どれほど苦しいことがあり、大変なところを通っていても、神のリバイバルのために祈ることです。単なる夢物語ではなく、私がいる所にリバイバルが起こりますようにと祈るのです。マイナスを圧倒するような喜びが湧き上がるように!
サマリヤでのリバイバルの中心には、若手の信徒リーダーのピリポがいました。食事の配給など底辺の奉仕者でしたが、大きく用いられたのです。困難の中で暗くなる必要はありません。喜びが湧き上がるのです。その原因となる人物、そこにあなたがいます。
イエス・キリストの名前によって祈るなら奇跡が起こり、命の躍動感が神から与えられる、そのような人物となるのです。21世紀、この日本に必ずリバイバルが起こります。私たち一人一人が時代の空気を変え、リバイバルのために用いられる者となれるよう祈りましょう。
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