ジャレッドとミシェルのブロック夫妻は、性的人身売買に関するドキュメンタリーを撮影する中で、私生活における祈りの必要性を強く実感した。
「性を目的とした人身売買の恐ろしい現実が私たちの上に壁のようにそびえ立ったとき、私たちの霊的な歩みには、無惨なほどぽっかりと穴が開いていたことをまざまざと露呈してしまいました」とジャレッド・ブロック氏は言う。「私たちは祈りの戦士になりたいと思っていました。ところが実際は、自分たちは祈りの放浪者だと感じていたのです。教会で育った私は、いつの間にかマンネリ化して、祈りは機械的な日課になっていたのです。正直に言えば、私は創造主なる神をまるでサンタクロースのような存在に引き下げていたのです」
祈りについてもっと知ろうと夫妻は世界中を旅し、ユダヤ・キリスト教の偉大な祈りの伝統を探った。山や修道院で、キリスト教共同体や大聖堂で、立っては横になり、毎時間、一日中彼らの探究は続いた。その結果、一冊の本が生まれた。『A Year of Living Prayerfully(祈り深く生きる1年)』は、魅力的でユーモアにあふれており、ブロック夫妻が世界中を旅して祈りについて探求した一冊である。
「これほど想像を絶する1年になるとは思ってもみませんでした」とジャレッド氏は言う。「私は祈りの生活を活性化したい旨を周囲に漏らしていました。しかしフタを開けてみたら、料理にほんの少しのスパイスを加えたという程度のものではなく、料理の仕方を学んだと言っていいでしょう。人身売買の被害者を擁護しようとしたとき、私は祈りの力の必要性を深く感じていました。何世紀も前、人々は巡礼と呼ばれる長い霊的な旅に出たのです。このような旅は、上なるものに焦点を合わせるのに役立ちます。いつの間にか、私たちはその習慣を失ってしまったのです。私はそれを再発見したかったのだと思います」
「祈りに深く生きる1年のために、私はユダヤ・キリスト教の信仰、宗派、教団をリストアップしました。彼らの祈りの方法、伝統、信条を研究するのが計画でした。世界中を旅して、宗教指導者、祈りの専門家、そして祈りを生活の重要な一部にしている日常の人々に会うのです」
その結果、夫妻はスペインの有名な巡礼の道を歩き、ローマではローマ教皇に会い、ソウルの祈る教会から共産主義の北朝鮮にまで行き、ギリシャのアトス山からエルサレムの嘆きの壁にまで行くことになったのだ。ブロック夫妻はこの旅を通じて、キリスト教における深く豊かな伝統の窓を開き、刺激的でウィットに富んだ祈りの生活を学んだという。
神を信じないこの世の人々にとっては、祈りは非生産的であり、時間の無駄以外の何ものでもないだろう。しかし自分の無力さと弱さを知れる者は、へりくだって神に信頼し、祈る以外に道がないことを悟るのだ。そしてその結果、実はこの祈りこそが真の力の源泉なのだということを、人は知るのである。
世界宣教を達成するためには、宣教師として現場に赴く献身の器が必要なことは言うまでもないが、それと同じように、祈りで支える祈りの献身者の働きも決して小さくないことを覚えたい。遠からぬ将来、世界宣教が達成され、再臨の主をお迎えできるよう、祈りの深みに漕ぎ出そうではないか。
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