はじめに
「夜明け前」の掲載から1年近くがたちました。私は、自分の中に居座る暗い思い、くすぶる希死念慮、自傷癖などを乗り越えたいと、依存症に特化する先生によるオンラインサポートを受けていました。
1年間を自分の問題と向かう時間として取り分けて、そのサポートが終わろうとしている今、御心ならば創作活動を続けてゆきたいと祈りました。この1年間の学びが新しい作品のうちに生きることを願いつつ、新たにイエス様を証しするための動画制作も始めました。興味を持っていただけると幸いに思います。
「影」と私
「神様はね、すぐそばにおられて、いつでも見ていてくださるの。どんな悲しみの時も、孤独の時も、うれしくて飛び上がりそうなときだって、その傍らでずっと見ておられるの。だから、決して一人じゃないのよ」
朝5時に起きて写経をしていた信心深いおばあちゃんは、縁側で枝豆の茎を落としながら幼い私にそう語ってくれました(祖母は、2020年にイエス様への信仰告白に導かれました)。私は目には見えない神様を信じて、幸せな子ども時代を送りました。
目に映るものの全てが新しく、どんな色彩にも初めて見るような驚きと喜びがありました。私は目をくるくる丸めて、この美しい世界に夢中になって幼少期を過ごしたものです。
しかし、それから10年もたったころには、私の生活は絶望と影に支配されていたのです。「影」・・・それは真夜中に寝ている私の腕をつかみ、底なしの暗闇に引きずり込もうとしたときもありました。寝ている私の上に、重石のように乗って動かないときもありました。身動きもできず言葉も出ない私はただ、恐怖で震えました。ある時は部屋の片隅にじっと立って、こちらを不気味に見ていた「影」・・・。
その「影」がやってくるのは決まって真夜中でした。2階にある私の部屋まで、階段を一段ずつ上ってくる気配に目を覚まして、夜ごと「影」におびえました。
この不気味で不穏な家から、私は早くに逃げ出しました。そして都会の小さな部屋で、気ままに暮らし始めたのです。
しかし、そこにも「影」はついてきました。背筋に寒気を感じると、背中にピタリと影が張り付き、「底知れぬ暗闇が、待ち構えているのだからね」とささやくのです。
この世界は、のちに手にする聖書に書いてある通りでありました。楽観的な私の母が教えてくれた「世界は平等で」「みんな優しい」「足りなかったら分け合えばいい!」そんな世界ではありませんでした。
お金がなくて野垂れ死ぬ人もおり、孤独のうちに夜中に悲鳴を上げる人もいます。強い者はより栄え、弱い者は最後の一滴まで搾り取られる・・・そんな悪魔の手の中に渡された世界のようにしか、私の目には見えなかったのです。
すれ違う人や街々・・・世界が恐ろしくて、骨はカタカタ震えました。この恐怖に気付かれたらつけいられる(何に?)・・・私は道化師のように笑って過ごしておりました。骨は痩せ、皮は引きつり、アスファルトを直接骨でたたくように、街を歩いて生きていました。
私はまだ知らなかったのです。悪魔よりはるかに強い神様が、この世界を救うご計画をお持ちであって、イエス様が私にも釘に刺し通された手を差し伸べてくださっていたことを・・・。
イエス様を探して
私の周りで何人かの友人がいつの間にかクリスチャンを名乗り始めておりました。そして、明日にでも消えてしまいそうなあやふやな生き方をしていた私に、イエス様のことを伝えようとしてくれたのです。
ゲツセマネの祈りの話を泣きながら聞かせてくれた友がおり、また、聖書をプレゼントしてくれた友がおりました。私の足元は相変わらずぐらつき、いつ沈み込んでもおかしくないありさまでした。すがりつくように、私は近くの教会に行き、聖書の手引きをしてもらいながら、そこに書かれていること、神様のメッセージを学び始めました。
しかし、まるで悪魔が目隠しをするように、さまざまな疑念が次から次へと湧くばかりであったのです。
「神様がおられるのなら、どうしてこんな世界なのか」
「神様がおられるのなら、どうしてこんな人生だったのか」
「神様が私を愛していたなら、こんなことはなさらないはず」
「クリスチャンだけ救われるなんて、ずるいじゃないか」
そうやって神様につっかかっては、壁に向かって叫んでばかりおりました。
しかし、聖書を投げ出すことはできませんでした。聖書を握りしめながら、「ここに書かれていることが本当なら、どうか信じさせてくれ」と願っていたのです。
教会の牧師先生、兄弟姉妹の温かな愛に触れ、また聖霊様の働かれる温かな交わりの中で、私はやがて、自分の罪を知り、イエス様を、聖書を信じるまでになりました。
さて、クリスチャンとして歩み始めた私は果たして新しい命を喜びながら生き始めたかというと・・・そんなことはありませんでした。祈り、神様と親しく交わったその口で、人をののしり、うわさ話を語りました。
愛、喜び、平安、寛容・・・そんな御霊の実のたわわに実った生活とはお世辞にも言えず・・・孤独や将来の不安におびえ、怒りや憤りを心にはらんだ「影」を引きずった日々が続くばかりでした。
何十回と禁煙をしたたばこだって、苦しみのたびに、喉から手が出るほどに欲してしまいます。「つらかったらば薬をたくさん飲めばいい」。10代の頃から精神科の薬を飲み慣れていた私には、どの薬をどれだけ飲めば楽になるか、よく分かる知恵も付いていました。
自分をいたぶると安心しました。「そう、やり直せるわけがないんだ。私はこんなふうに地べたを泥のようにはいつくばって、自分や人を呪っているのがちょうどいいんだから・・・」
十字架の上で
こんな私がクリスチャンだなんて、滑稽でした。それにつけ、本紙では信仰を表すための物語まで書かせていただいていたのです。物語や証しの中で自分をとりつくろい、隠そうとしていたわけではありませんでした。こんなに落ちこぼれの信仰者だから、書ける何かもあるんじゃないかと思ったのです。
それでも、自分が情けなくありました。いつか、喜びにあふれたクリスチャンになれるかしら。こんな暗い「影」とおさらばして、いつか愛と自信にあふれたクリスチャンになれるかしら。
そして母教会の牧師先生より、あらゆる依存症の当事者をサポートされているある先生をご紹介いただいて、1年間のオンラインサポートを受けることになったのです。
「依存症」とは、認めがたい呼び名でした。まがりなりにも、人には迷惑をかけずに生きられるまでに回復していたつもりだったからです。しかし、私の心は、何かしらの支えをどうにかして探し出しておりました。私も類に漏れず、何らかの支え(依存先)が必要な人間であり、それが健全な域を超えて、自分の健康や幸せを妨げるほどであったのです。
ある日、サポーターの先生との学びの中で、先生の声なのか、イエス様の声なのか・・・さだかではない導きがありました。「これほどの傷を背負って、どうやってあと一日だって生きられようか」。私はそう訴えておりました。
先生はおっしゃいました。「それは、もう無理だ。とても生きられない。だから・・・死んでいい」。そして御言葉が開かれました。
「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています」(ローマの信徒への手紙6:5、6)
そして、イエス様の十字架の立つゴルゴダの丘に、私は導かれていったのです。イエス様は、ゴルゴダの丘の十字架で、私を待っていてくださいました。そして、イエス様と重なるように、私は十字架についたのです。私は喜びでいっぱいでした。
「そうか。死んでいいんだ」
私の血は、十字架の上でイエス様と一つになってゆくようでした。イエス様の声が私の内側につつ・・・と響いてくるようでした。
「あなたのいのちはもはやわたしのいのちであり、あなたの血はもはやわたしの血であり、あなたの涙はもはやわたしの涙である」
よみがえりを生きる
私は死んで、イエス様と共によみがえったのです。誰がどう言おうと、自分さえ信じられなくとも、それが聖書に書いてある、真理なのです。
「影」のように張り付いていた言い知れぬ孤独は、まるで風がさらったように消えてゆきました。冷たい風がひやりと孤独をささやくときも、「神様と私は一つ」そう口にします。すると胸の奥が熱くなり、力が湧いてくるのです。
私は、天の国に生きるがごとくに、この地上生涯を生きてみたいと思っているのです。
イエス様と私は一つ。もう天国は始まっており、私はもはやこの地上で、神様の娘として高らかによみがえりのいのちを生きてみたい。そう願っているのです。
■ 動画:「よみがえり」ところざきりょうこ
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ところざきりょうこ
1978年生まれ。千葉県在住。2013年、日本ホーリネス教団の教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、千葉県に移住し、東埼玉バプテスト教会の母教会である我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫4匹と共に暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「ところざきりょうこ 祈りの部屋」「ところざきりょうこ 涙の粒とイエスさま」。※旧姓さとうから、結婚後の姓ところざきに変更いたしました。