今日は結婚式の前夜でした。私は式場のあるホテルが用意してくれた部屋に泊まり、明日の式を待っていました。もうお風呂も済ませ、髪の毛も丁寧に洗って乾かしました。窓からは、赤く街の明かりが灯っては、夜空を染めるほどに色づいておりました。
見渡す限りの世界は、傷だらけの様相を呈していました。空からは見えない炎が、雨のように降り注いでいるように感じました。豊かと言われるこの国であっても、帰る家のないように、心を震わせて生きている人はどれほどいることでしょうか。…街の明かりはまるで、見えない炎のようでありました。私が生まれる前も生まれた後も、戦争続きのこの世界のありさまでしたが、私も、この見えない炎の中で、ごうごうと燃える火をくぐって生きてきた気がしていました。
そのように救いのない世界の中で唯一本当の平和を与えてくださるイエス様に出会ったのは、まだ数年前のことでした。今私は主の牧場にあって、闇のどんなさかんな勢力も、その平和を私から奪い去ることはできないのです。
柔らかいガウンを引きずって大きなキルトのソファに座ると、トランクから精油とろうそくを取り出して火をともし、ミルラ(没薬)の香油をあぶりました。深い地中の蜜のような甘い香りが鼻の奥を突き抜けて脳に達すると、景色が浮かび上がってきます。
それは、土埃の煙るエルサレム。そこを歩いた無数のわだち…弟子たちを連れ立って歩いたイエス様の足跡…2千年前の地は、土埃の一つ一つさえ生き生きと香り、風が運ぶ樹木の香りは焦がれるほどに甘く、夜の中に神様の神秘が満ちていて、星や月もそれは大きな光でありました。その地をザクザクと音を立て、歩みを止めないイエス様の足跡。この世界に受肉された、肉のもろい足で歩く神様の姿が現れて、私を途方もない望郷の思いにいざなうのです。
「主よ、きたりませ、主よ」。そうつぶやいて、あなた様が生きた日々がつづられた、この古い書物、聖書を開きます。文字は立ち上がり、空間を持ち、香りや音を放ちながら、私の目の前でイエス様がこの地に生きられた日がよみがえってくるようでした。
「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である」(マタイ16:15~)
私は天のお父様にあわれみを受け、イエス様という永遠の命、真の生ける水が与えられました。「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。そう告白し、神の民と加えられ、天に国籍を持ち、生きるという新しい人生が始まったのです。
思えば激しい人生でした。この結婚にたどり着くまでも、見えない炎の燃え立つ中で、必死に生きてきた道のりのようでありました。そんなことを思い返していると、すみれ色の大きなすみれ時計が現れて、その針がゆっくりと逆戻ってゆくのです。
「困難な道のりだったわ」。私がつぶやくと、イエス様はうなずき、「知っている」とおっしゃいました。「これからも、そうなのでしょうけど」。イエス様は笑いながらうなずきました。そしてイエス様に優しく抱かれながら、共に時をさかのぼる旅に出かけるのです。
*
私の幼い日の歩みとは、耐えがたい孤独に悶(もだ)えていた日々でありました。まるで世界でたった一人置き去りにされたような気がして、張り裂けるような孤独に体は引きちぎられるようでした。引きちぎられた肉体は壊死し、ぶら下がった肉を揺らしながら歩いていたような、傷だらけの道のりでありました。もちろん、その体には、本当の命…イエス様、あなた様の与える命の水が流れておらず、真の命であるあなた様の命とつながっておらず、滅びに向かうばかりでした。それでも、むしろ喜んでいたのです。「いつか終われる」と、土に還れる日を心待ちにしていたのです。
今でもこころの中に、長い年月を、あなた様を知らずに生きてきた疲労が残っております。その疲労は私の四肢をだるくして、ベッドに身を横たえることも少なくありません。あなた様のみ手のうちに、私は身を横たえて、塩気のない涙が流れるままになるのです。
「さびしいさびしい」。心は絶え間なく叫んでおりました。「生きられない」と、あえぎました。
友達もいないわけではありません、完全ではないながらにも両親がおりました。それでも私はひび割れるほどに枯れ果てた心でそう叫んでいたのです。
遠い国では爆弾が降り注いでいるこの世界で、戦争のないこの国であれば幸せでいられることがありましょうか。また、この国にも、見えざる炎が降り注いでいたと思うのは私だけではないはずです。どこにも行けないような孤独もありました。属するところを持てない孤立もありました。簡単に社会から断絶される恐怖もあり、暴力に怯え、家を失う貧困も、切実なものでありました。いつ脅かされるか分からない、差別や排斥のまなざしに震えていました。私の世界はいつだって、透明な炎に包まれて、ごうごうと燃えていたのです。
幼い頃、世界は命にみなぎって、木々や花もまるで友達のように語り掛けてくれていた気がします。しかし、今や世界は生気を失った背景のようでしかなく、私に語り掛けてくれる木々や花もありません。世界と切り離されたような痛みが、常にありました。
私は自分を異星人か何かのように思い始めました。「私は私の旗を掲げよう。それを大きく振って、私がここにいることを訴えるのだ。そうしたらきっと、同じ言語を持つ本当の家族が私を迎えに来てくれるに違いない」。そう思って、窓の向こうに輝く明るい星たちを見つめました。金星のようにはるか遠い星に本当の家族がいて、いつかこの炎にまみれた恐ろしい世界から、私を救い出してくれる。そんな夢想にひたり、‘本当の家族’ へと旗を振るように、エレクトーンを叩き、歌を作り始めたのは13歳の頃でした。
家には、おばあちゃんの家から母がお嫁に来たときに持ってきた古いエレクトーンが、埃をかぶっておりました。ある夜、そろそろとエレクトーンのある居間に行き、月明かりに照らされながらエレクトーンのふたを開け、ヘッドホンを頭にはめました。同じく埃をかぶっていた教本を開いて、鍵盤を鳴らしました。初めに覚えたコードは2つ。ドミソのCとファラドのF。Cは無数の木の根を支えるたくましい大地のような音。Fは真綿の海のようでした。左手でコードをさざ波のように奏でながら、右手が歌い始めると、見果てぬ世界が扉を開けて、まるで故郷が私を迎えに来てくれるようでした。胸の奥から熱い何かが込み上げて、歌が生まれてゆきました。
♪いつか 見た世界
なつかしい ふるさとよ
私はここにいます
地は血痕で染められ
土は屍が折り重なった
救いのない大地
心を枯らし 待ちわびています
救いを…♪
私は夢中になって弾きました。教本をめくると、ラドミのAとミソシのEに出会いました。Amは甘い悲しみ、郷愁、愛のあこがれ…Emは痛み、心に刻まれた傷跡やかさぶたの音がしました。Dmは琥珀色をして、それはいつも飲み過ぎのお父さんの安ウイスキーの香りが漂いました。そして、雲一つない空のように果てない希望の音、Gのソシレ。まるで世界を手に入れたように、このコードさえあれば、どんな歌もできるようでありました。
皆が寝静まった居間には、カタカタと鍵盤が上下する音が響いており、窓の向こうの遠い星々のどこかに住む未知の生命体、私の本当の家族だけがその信号を受け止めているようでした。私はクッションのきいたヘッドホンから鳴る音に、いろいろな言葉を重ねて歌いました。まるで ‘た・す・け・て’ と呼ぶように。
朝が来ると、親はせわしなく起き出して、子どもたちを学校に送り出す準備です。遮光カーテンで暗く閉ざされた私の部屋に、大きな足音が近づいて、乱暴にドアは開けられ、カーテンが開かれます。「また寝坊?起きなさい!」布団がめくられ、寒くなり体を丸めました。
「遅刻も仮病もゆるさないよ」。お母さんはそう言い放つと、1階への階段をすたすたと降りて行きました。私のもっとも憎むべき朝が来たのです。朝になると、体中に膜が張ったように感覚が鈍くなりました。魂が抜けて、ずっと遠くから自分を眺めているような気がしました。自分のものではない手足を動かし、何とか朝食をとり、着替えて学校へと向かいます。教室の蛍光灯のまぶしい明かりが、憎むほどに嫌いでした。まだ昼間だというのに、なぜこんなに煌々と明かりをたくのか訳が分かりませんでした。白い光は私の体を無数の針で刺すようです。そして、いてもたってもいられずに、授業中に教室を飛び出しました。もう何度目だったことでしょう。保健室の先生もお手上げでした。病院に紹介状を書かれ、ある日、学校を休み、母と2人で電車を乗り継ぎ、病院に行きました。
「離人症だね。とても深刻だ」。そう言ってお医者さんは難しい顔をしていたのを、体のある所より、離れた所から眺めていました。そして、いろんな色の薬を出してもらいました。その量はとても多くて、1カ月分でリュックサックがパンパンになりました。
私は、この薬が魔法のように私の苦しみを消してくれるのかと思いました。それはとてもうれしくて、お医者さんの言う通りにパクパクとラムネをかじるように薬を飲み始めました。
確かに、胸が苦しくて仕方がないとき、薬を飲むと頭の奥から重たい幕が下りていき、簡単に眠りにいざなってくれました。その眠りは重く、深く、私は大きないびきをかいて眠りました。朝起きることは余計に難しくなり、午前中も鉛のように体が重いので、学校も休みがちになりました。
「あの子は病気だから」。お父さんもお母さんも無理に私を学校に行かせようとはしませんでした。「どうしてこんなことになったのかしら」「お前の育て方が悪いんだ」。そんな父と母のやりとりが眠りの中にも響いては、心をチクチクと刺しました。
すみれ時計の中で、私は記憶の深いところにあったそんな景色を見つめていました。私の肩に手を回すイエス様の手を握って聞きました。
「イエス様、天のお父様は、私たちに本当の故郷を求める心を起こさせるために、天に星をちりばめたのではないかしら。あの星のどこかに自分の本当の家があると、そう思って星を見上げる人は、私だけではないはずよ」
「そうかもしれないね」。イエス様はほほ笑みました。私は続けました。「そして確かに、本当の家族に出会えたわ。お優しい天のお父様…天のお父様にそっくりなお兄様のイエス様、そして天のみ使いたち。そして、この地で神の民として呼び集められたきょうだいたち…UFOみたいなロマンチックで奇天烈な乗り物は出てこないけれど」。イエス様はそう言う私に聞きました。「不満かい?」私は首を振りました。「イエス様にUFOは似合わないわ。海にも雲にも乗られ、天にも地にも住まわれるお方が、私の神であり主であり、王なのですから」(つづく)
◇
ところざきりょうこ
1978年生まれ。千葉県在住。2013年、日本ホーリネス教団の教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、千葉県に移住し、東埼玉バプテスト教会の母教会である我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫4匹と共に暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「ところざきりょうこ 祈りの部屋」。※旧姓さとうから、結婚後の姓ところざきに変更いたしました。