私は大みそかも働いておりました。大みそかと言ったら、家族や親族が集い合い、和気あいあいと歌番組でも見て、ぜいたくな料理をつつき合い、日付の変わる頃には年越しそばと除夜の鐘、そんなにぎやかな日でしょうか。幼い頃から、母は大みそかも変わらずに働きに出ておりましたし、そのうち母が男の人と暮らし始めてからはなおさら遠慮して、その家にはほとんど行くことがありませんでした。ですから大みそかは、この国中の家族が楽しげに過ごしていることを感じながら、寂しく過ごすつらい日でした。いつからか、できることなら大みそかにも仕事を入れて、忙しく過ごす癖がついていました。病院の清掃人という仕事でも、人が入りたがらない大みそかにシフトを入れると、それはありがたがられました。大みそかと三が日は、特別手当も出るのです。私のかき入れ時とでも言いましょうか。
病院には、長く病を患って、ずっとここで暮らしているような人もおりました。まるで自分の家のように、仲間を作って楽しげにリビングでテーブルゲームをして、看護師さんや私にも家族のように接してくれます。そんな人たちも、今日ばかりはどこかしら、寂し気でありました。
‘大みそかも働くあの人は、きっと独り身なのだろう’ 患者さんさえ、そんなふうに察したかもしれません。病院には、大みそかにも家に帰れない者同士の、痛みを分かり合うような優しさがあふれていました。独り身の女には、まだまだ風当たりの冷たい時代でありましたが、優しさやあわれみもまたあったのです。
長く酒席で働いてきたことを隠すように、私は化粧もせずに、髪も地味に編みました。しかしそれでも隠し切れない何かはあったのではないでしょうか。しかし、誰もが気付かぬふりをしてくれる優しさが、この職場にはありました。私はいつからか、自分の家のようにこの病院を愛し始めておりました。
患者さんから洗濯物を預かって、晴れた日の屋上で干していると、また、洗濯室の畳のあがりで畳んでいると、まるで愛する家族のために働く母のような気持ちになりました。家族を持つ幸せの片りんを感じておりました。それを一人一人に返しに行って、声を掛けて部屋の掃除もします。長くここにいる人たちは、まるで自分の部屋のように小さな仕切りの空間に、好きなものを寄せ集めて暮らしていました。それを大切に扱って、掃除をします。「甘いジュースの飲み過ぎじゃない? 体を悪くしてしまうわよ」。ゴミ箱にたまったジュースの缶を袋に詰めながらそんなふうに声をかけると、「許してよ、それしか楽しみがないんだから」。気恥ずかしそうに答えてくれます。そんなささやかなやりとりが、幸せでした。病のある人たちは、神様に砕かれた人のように、弱さを認めざるを得ず、だからこそ優しく、憐(あわ)れみ深い人が多かったと思います。
そして日曜日は礼拝に行きました。そうです、私は教会に通っていたのです。
さくら時計がゆっくりと針を回す中で、私はイエス様を見上げました。「私はね、教会がなかなか好きになれなかったわ。皆立派な人のように思ったの」。イエス様はうなずいて「そうだったね」と言いました。「そして、人をうらやんで苦しかったわ」。イエス様は優しくじっと見つめてくださいました。
やきもちは怖いものでした。自分に与えられた神様の恵みを見えなくさせ、他人が受けている ‘よいもの’ ばかりに目が行くのですから。神様はおっしゃいました。「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」と(2コリント12:9)。幸せな家庭や素敵なおうち、安定した仕事に健康や財力、私には ‘あったほうがよい’ と思われるものがたくさんありました。しかし、欠乏の中にこそ主は働かれ、その欠乏の中にこそ主の力が満ちあふれるというのです。そして、あなたに対して十分なものはもはや与えている、そう主は言われるのです。それは、どんな時もであるのでしょう。例えば、私が一番欠乏を感じていたときでさえ、主は「十分であった」と言われるのでしょう。それでも私は「足りない!」と叫んでばかりいたのです。
また、私の心には母への怒りがちりちりと、くすぶっておりました。私は胸に火を抱え、やけどの痛みに苦しみました。イエス様を、神様を愛していると言いながらも、その愛が私の痛みのすべてを覆おうとしていても、私は胸に火を抱え、その愛が染み渡ることを自ら拒否していたのです。それは ‘あなたの愛は十分ではなかった’ と、神様に言っているのと同じことであったのですから。私が、「わたしの力は弱いところにこそあらわれるのだ」と言われた神様の言葉を本当に分かるには、長い月日がかかりました。
掃除人として働き、教会に通い、私は目まいがするほどのまぶしさを感じておりました。ずっと暗闇を好んで、もっと暗いほうへと足を進めてきた人生でした。そのような中で私は少しずつ、明るいほうへと歩き出していたのです。ですから、一歩一歩行くごとに、光のまぶしさに目まいを起こし、倒れそうになることもありました。しかしその光は、‘イエス様のまばゆさ’ でしかなかったのです。
ある日、雲一つないほどに晴れた日のことでした。私は病院の屋上で、かご3つ分の洗濯物を干しておりました。青空に包まれて汗をかき、石鹸の甘い匂いを嗅ぎながら洗濯物を干していると、「自分はなんて幸せなのだ」と思いました。その日の帰り道、道端の野花たちがほほ笑みかけているように思いました。帰ったら、ミルクのたっぷり入ったアイスティーを入れて、賛美歌を流そうと思いました。聖書は「ヨハネの福音書の17章」を読みましょう、そしてイエス様の愛を蜜のように飲み干しましょう。そう思って、幸せでした。
しかしなぜでしょう。家に帰った私は、アイスティーも入れず、賛美歌も流さず、聖書の棚の文具入れからカッターナイフを取り出すと、自分の腕を傷つけていたのです。
床にへたり込んで、血のにじむ腕を見つめました。この痛みの中にこそ、私の故郷がある気がしました。‘痛み’ はなつかしい景色を見せてくれます。泣き叫んだあの日、路上にうずくまったあの日、帰る家もなかった夜、誰にも届かない叫び…。私はつつと涙を流しながら、‘久しぶりにタバコを吸いたい’ と思いました。
まぶし過ぎる。そう思って目まいがするとき、私は袖で隠れる腕の上のほうを、傷つけていたのです。そして安心していたのです。そう、この痛みこそ私の道であったのだ、と。それは忘れがたいほどに痛みうずき、癒やされるにはまだまだ月日が必要でした。
その時は気付いていませんでした。私が自分を傷つけるたびに、イエス様も共に傷ついていたのだということに。イエス様は私たちと共に泣き、共に傷つくお方です。私はどれほど、あなたを傷つけてきたでしょうか。十字架につけてもなお足りず、あなたを傷つけ続ける私とは、一体何者なのでしょうか。
イエス様は、傷だらけの神様です。この世にもろい肉の体を持って生まれてきて、その命が絶え果てるまで私たちに傷つけられ、今もなお、私たちと共に傷つかれ、そのすべてを負われる神様です。
それでも私たちを愛するという、この方は、一体何というお方でしょうか。(つづく)
◇
ところざきりょうこ
1978年生まれ。千葉県在住。2013年、日本ホーリネス教団の教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、千葉県に移住し、東埼玉バプテスト教会の母教会である我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫4匹と共に暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「ところざきりょうこ 祈りの部屋」。※旧姓さとうから、結婚後の姓ところざきに変更いたしました。