闇の深き所から、無数に触手が伸びてくるのが見えるようでありました。その触手は私のからだをまさぐり、細い足首をつかみました。触手はめりめりと私の足首にめり込んで、私の一部となっていくようでありました。「地獄の闇の深みまでおまえを道連れにするのだ」と、そんな意思が体中に伝わりました。
身震いして、目を覚ましました。私はそんな夢を思い出し、吹き出すように笑いました。そして思ったのです。「地獄が何よ、ここだって、似たような所じゃない」。そして、震える指先でタバコをつかみ、火をつけて深く吸い込みました。窓の向こうは夕日で赤く染まっており、コウモリの群れが行き交っておりました。コウモリがキャアキャア鳴く声が、街に響いておりました。
私は30代も半ばを過ぎておりました。今日も働きに出る時間です。そこは、母のやりくりしていたお店でした。母は少し前から男の人と暮らし始めたそうでした。働く必要のなくなった母は、私にその店を譲ったのです。私は小さな店に手を入れて、中古のピアノを入れ、ピアノの上手な女の子を雇いました。赤いビロウドのソファを並べ、洋酒を仕入れて、小さなバーにしておりました。
外国の映画に影響を受けた私の趣味が生かされて、おしゃれなバーとして繁盛しました。お客さんにも外国かぶれの人が多くいて、ピアノを伴奏に英語の歌を歌っては、楽しげでした。店の終わりには、お客さんの全員とかわるがわるチークダンスを踊りました。…まるで万華鏡をのぞき込んでいるように、色とりどりで華やかでした。毎週花屋が飾りに来る花を眺めて満足しました。大きなチューリップがこうべを垂れるほどに花弁を開いている様子は、アールヌーボー調ですし。
ルビーのはめ込まれたライターを、カチッと鳴らしてタバコに火をつけました。ゆらゆら揺れる炎を見つめていると吸い込まれそう。実際私は燃えていたことでしょう。罪の炎で身も心も焼き尽くされていたのです。そして身もだえしながらも「自分にふさわしい顛末(てんまつ)だ」と喜んでさえいたのです。
さくら色の花びらで縁取られたさくら時計の中で、私はイエス様に肩を抱かれ、この若かった私の様子を見つめていました。「つらいわ」。私の心の奥にはまだ、その頃の傷跡が残っており、かさぶたが剝がれるようにチリチリと痛みました。「何もかもが虚構のような世界の中で、あなたを求める力すらなかったの」。そう言う私を全部お分かりになるように、イエス様は「知っている」とうなずきました。イエス様の瞳は憐(あわ)れみと悲しみで輝いておりました。イエス様はその頃の私のことも、ずっと心に留めて見つめておられました。その目はきっと赤く腫れておられたことでしょう。
この世界には、光の届かない所がたくさんあります。そんな暗闇に住まう者にとって、光とは遠いあこがれであり、憎しみさえ抱かせるものでありました。しかし、イエス様というお方は、光であられながら、陰府(よみ)にまで下られたお方です。光の中にだけお住まいになり、「ここまで来い」とおっしゃる方ではありません。この世界の暗く貧しい人の心の住まう所まで降りてこられ、この地上を肉の足で歩かれたお方です。この神様は、私の心の闇の深く血のにじむ痛みのある所まで、降りてきてくださいました。そして、私はこの方と深い闇のふちで出会ったのですから。でもそれはまだ先のこと。私の心は叫び始めておりました。「助けて」と。
私の心は悲痛に叫び、まなざしにもそれは表れました。「助けて」。そのまなざしは、道行く人にも、そしてバーの客たちにも表れ始めておりました。まるで憐れみを乞う者のように、私の目は悲しく訴えました。「誰かここから救い出して」
私はもの欲しげに人を見つめ出したのです。そのまなざしに、気付く者も現れました。時折しか来なかったバーの客で、一人の紳士がおりました。その人は目じりとほほに笑いジワが深く刻まれた、優しそうな人でありました。彼はいつの間にか、頻繁に店を訪れるようになっていたのです。
その人はある夜、ピアノを伴奏に歌を歌いました。時折私を見つめては、恥ずかし気に目をそらして、彼は歌いました。私の心のチリチリとした痛みが、小さな炎に変わり、胸を熱く火照らせました。
そしていつからか、店の始まる前から、彼は来るようになっていました。薄暗い店内にシャンソンを流して、私は彼の来るのを待つようになっていました。
誰もいない店内で、私の向かいに彼は座り、「ずっと無理してきたんだね」悲しそうにそうつぶやいて、私の指に指を重ねて温めてくれようとしました。ふと正気に戻るように、「ご家族がおられるのでしょう」と私はその手を突っぱねました。しかし、彼はつらそうな顔をして首を振り、「僕に帰る家などないよ」と言うのです。
「こんな仕事を君にしてほしくないな」。彼はビールを一気に飲んで言いました。私は笑ったものです。「それじゃあ生きていけないもの」。「そうかい?」そう言って彼は、じっと私を見ました。私の心にそのまなざしは(2人でなら生きていける)そんなふうに聞こえてしまったのです。
「2人で生きる」。私の世界は桃色に染まり始めました。街を歩くと空からチューリップの球根が空いっぱいに降ってくるのが見えるようでありました。それは地面に柔らかく寝そべると、静かに芽を出し花を咲かせ、色とりどりのチューリップが街中に花開いてゆくのが見えました。草花がほほ笑んで、歌を歌ってくれるのが聞こえるようでありました。ヒメジュオンたちが風に吹かれながら、私の幸せを共に喜んで歌ってくれるようでした。
空の色がこれほどに美しく感じられたのは、どれほどぶりのことでしょう。まるで少女の頃のように、世界は色に満ちあふれ、それはあまりに美しかったのです。私はミュージカル映画の中を生きているようでありました。空は音楽でできている気がしました。光の粒がメロディーとなってこぼれる世界で、今にも踊り出してしまいそう。誰も見ていないことを見計らうと、子どものように野原を走ってしまいました。息せき切るまで走り続け、野原で転げまわって笑いました。空を見上げると、夜空の星くずたちが明滅して、私に ‘コトバ’ を贈ってくれているようでした。‘シアワセニナレルヨ’ … ‘キミハスバラシイ’ … ‘ハナノヨウニ、ウツクシインダ’ …星々はそう語ってくれました。
「こんな仕事をしてほしくないな」。そう彼に言わしめた仕事を続けることはできませんでした。私は唐突に店を閉め、貯金もずいぶんとありましたから、ゆっくり自分にできる仕事を探そうと思いました。
野花をちぎって花瓶にさして、部屋中を飾りました。今まで店に飾っていたような立派な花ではないことが、心浮き立たせたものでした。私は間もなく40歳になろうとしておりました。しかし、心はまるで10代の乙女のように花びらにうずもれておりました。
「どんな仕事をしようかしら」。「どんな仕事はあの人が喜ぶかしら」。胸をときめかせて空想しました。花屋さん?総菜屋さんのキッチンで働いてもいいかもしれない。仕事が終わった夕暮れに、「おつかれさま」ときっと彼は電話をかけてくれるでしょう。いつでもあなたの姿が見える、小さなおうちがあればいい。物干し竿に洗濯物が揺れていて、足元には花とハーブが咲き乱れる、小さなお庭があるといい。レース編みのテーブルクロス、庭で育てた花をテーブルに飾りましょう。アールグレイのシフォンケーキだって焼いて見せるわ。お菓子なんて作ったことなんてないけれど、きっと上手に焼けるでしょう。ミルクたっぷりの甘い紅茶を入れましょう。シャンソンなんてもう流さない。小鳥のさえずりのようなフルートが部屋に流れることでしょう。
くわえていたたばこを灰皿に押し付けました。「もう、こんなものもやめましょう」。そういとおしそうにたばこを見つめ、最後の別れを惜しむため、と最後の1本に火をつけました。煙を吸うと、いつからか覚えたたばこと共にあった日々が思い返されてゆきました。誰も慰めてくれないつらい夜も、たばこの煙は私のからだを巡りながら愛撫して、慰めてくれるようでした。いら立ちが抑えられないとき、むせ返るまでたばこに火をつけ続けた日もありました。私は街でうわさされている通りの「すれた女」そう開き直るようにたばこを愛していきました。しかし今はどうでしょう。「あなたはそんな人ではない」と私の手を取り見つめてくれる人がいるのです。
店を閉めたことを告げた電話で、彼は不安げにつぶやきました。「大丈夫なのか?」しかし「君を応援するよ」と言ってくれたものですから、私は踊り出したものでした。まるで彼は私の夢見ていた ‘神様’ の訪れでありました。私の痛み、苦しみ、嘆き、そんな道のりもすべて分かっているように、憐れみ深いまなざしで私を見つめてくれました。私の命の芯までも、熱く愛するまなざしが、私の心を癒やし、私を自由にしたのですから。(つづく)
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ところざきりょうこ
1978年生まれ。千葉県在住。2013年、日本ホーリネス教団の教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、千葉県に移住し、東埼玉バプテスト教会の母教会である我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫4匹と共に暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「ところざきりょうこ 祈りの部屋」。※旧姓さとうから、結婚後の姓ところざきに変更いたしました。