念願のメソポタミアにある古代東方教会への訪問が、実現に導かれた。感動と感謝の一言で、このシリーズでシリア正教の修道院教会を紹介する。
初めてイスタンブール空港に降りたのは10月13日の夜、韓国の宣教師たちが待っていてくれて、私が無事に着いたことも含め、互いに喜び合った。久しぶりに会って大変安堵(あんど)した。
私は県営名古屋空港から福岡空港を経由してインチョン空港に行き、そこからイスタンブールに飛んだ。一人旅がよくできたものだと思い、共にいて導かれる聖霊なる神様を身近に覚える旅であった。行く前に、ウルファ(ギ語、エデッサ)について書かれた一冊の洋書から数カ所を和訳して準備した。
合流してガイドさんにお願いしたものはトルコの地図で、明くる朝に用意してくれた。私たちの行き先は南東アナトリアにあるウルファ(サンリ・ウルファ)とニシビス(ニシビン)、その周辺の東方教会である。アナトリアの意味は日の出らしい。シリア語ではドナフという。
トルコは新約聖書時代には小アジアと呼ばれ、イエスの使徒たちや弟子たちの伝道エリアであった。初代・古代に多くの教会が建てられたことは知られている。トルコの地には多くの民族が行き交い、戦いや紛争も起きた。シルクロードの交流地でもあった。現在の首都はアンカラである。
歴史を振り返れば、古くは紀元前20世紀ごろにアブラハム一行が通った地といわれ、マケドニアのアレキサンダー王が東方を支配した時にギリシア語が公用語となった。アナトリアとはギリシア語で小アジアの意味。やがてモンゴル帝国が侵入し、テュルク語が普及した。イスラム教徒が移住して現在はムスリムが多く、朝から日に何度も各地のモスクからスピーカーの音声が聞こえてくる。
私たちの訪問した諸教会の礼拝では、トルコ語やアラビア語でもなく、全て古代から伝えられるシリア語(あるいはアラム語)が使われていた。賛美や聖書朗読、指導者のショートメッセージは全てシリア語であった。
この10月10日に、イーグレープから拙著『古代シリア語の世界』を出版した。その中でも紹介したが、シリア語には次の三書体が伝えられている。以下はそれぞれ同じ「シリア」の表記である。
私たちはイスタンブールから空路でディヤルバクル空港に着き、レンタカーを借りて宣教師の上手な運転で約1万2千キロを往来。無事故で返すことができ、感謝した。
さて、ディヤルバクルという地について調べると、その名は20世紀になって付けられたとのこと。古代ローマ時代には「アミダ」と呼ばれ、クルド人たちの故地であり、ここの要塞は万里の長城に次ぐ大きさである。この地域とウルファとニシビスは、メソポタミアの肥沃な三ケ月形の北先端の地である。
ホテルから周辺の建造物をふと見ると、モスクになっている建物はキリスト教会跡の様式やデザインが多く、塔の先端の十字を外し、ムスリム様式の月型金具類に取り換えてモスクとしたものが多く見られた。そこにはさまざまな悲しい歴史があったことを思うのである。
※ 参考文献
『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教碑の風景』(シリーズ「ふるさと春日井学」3、三恵社、2022年)
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