メソポタミアの地に入って車を走らせると、日本と事情が異なる風景に出くわした。山々の全てに森林がなく、そのすそ野には一面に綿花畑とモロコシ畑が広がっていた。この地方の産業が、これらや麦、ピスタチオ、ブドウなどの農作だとガイドは言った。
一行はシリア正教会を訪問した。名はシリアとあるが、シリア語を使用することから付けられ、今のシリアの国にあるという意味ではない。メソポタミアのウルファとニシビスとその周辺に古代から建てられたシリア正教会の一つ、聖アキスノヨ教会で、大変広大で古代の名残が漂う会堂である。
幾つかの教会を管轄する指導者宅を訪問し、あいさつした。そこでいろいろと質問し、シリア語の読みを生で聞いた。私も「アラフ、ベータ、ガマル・・・シン、タウ」の22子音文字を読み、マタイの福音書5章の一部分や「主の祈り」をシリア語で聞くことができて大変感謝であった。
明くる朝の礼拝に参加した。初めは数人の礼拝者がいたが、時間が過ぎると多くの椅子が埋まり、満堂となった。シリア語での賛美や祈り、メッセージが取り次がれたものの、意味が分からない。指導者や執事たちのしぐさで神を愛し敬うことと、会衆を祝福することが伝わった。
礼拝の中で乳香をたいて香をささげるのも、日本の正教会で見た光景と同じであった。礼拝が終わって中庭に出ると、青年が昼のパンを配布していた。中庭では、多くの会衆がむつまじい交わりをしていて、それには神の愛と平和を感じた。
私は早速、中庭奥の墓地に行き、多くの墓碑に彫られたシリア文字を撮影し、許可を得て拓本させていただいた。そして、この地方の諸教会を巡ったが、マリア立像が一切なく、聖書に基づいて礼拝していることに気付いた。
この墓碑のシリア語は、西シリア語書体で彫られていた。
この墓碑のシリア語は、エストランゲロ書体で彫られており、それを拓本した。
ここで、古代の諸教会について紹介したい。古代教会は話し言葉(ギリシア語、ラテン語、シリア語など)がいろいろ違い、地域によっても異なる神学が生まれた。そして互いに異端呼ばわりして、皇帝も加わり、教会信徒の追放も起きたことは知られている。小アジアにおけるニケヤ会議やエペソ会議、カルケドン会議など7つの公会議がある。
この地域のシリア正教会は、古代はローマ帝国内のウルファ(ギリシア語名はエデッサ)にあり、ヤコブ・パラダイオス(684〜688)という指導者が再建。聖書を校訂して改革し、シリア正教会を維持してきた。シリア語は、かつてヤコブ式といわれた西シリア書体である。
東方教会のもう一つは、ニシビスからペルシア帝国内で栄え、中央アジアや中国唐代で大きく展開した大秦景教である。彼らも、かつてはネストリウス式書体といわれた東シリア書体で聖書や賛美歌、信仰書を書いていた。
その教会の違いを図にした。
これまで西方諸教会では、東方教会をネストリアンと呼んできたが、実際はネストリウスとは関係がなく、蔑称として反対者から付けられた名称であり、彼らは使用しない。プロテスタント宗教改革者たちが自分たちをカルビニストとかルター派というのは、ルターやカルバンの流れがある故だが、東方教会はネストリウスが生まれる以前からある。蔑称より、正しい呼称を使われるとよいと常々考えている。
なお、キリストのご性質について単性論者だというのも事実ではない。今日も平気で蔑称を使う人があり、再考される必要がある。
次回は、別の修道院教会とキリスト教諸教派の流れを紹介したい。
※ 参考文献
『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教碑の風景』(シリーズ「ふるさと春日井学」3、三恵社、2022年)
【著者の最新刊】
『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)
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