「神の御心と神の時」これは、聖書を貫くメッセージです。
イエス様は十字架にかかり、全人類の罪の贖(あがな)いを成し遂げるために死なれました。これが、神の御心でした。しかし、生まれてすぐに死なれたのではありません。33歳になるより前に死なれたのでもありませんでした。
神の時はあらかじめ定められています。「あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである」(ダニエル書9:24)と書かれています。
だからイエス様は「わたしの時は来ていない」と言い続けられ、その時になって初めて「時が来た」と言われたのです。
「すると、イエスは母に言われた。『あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません』」(ヨハネ2:4)
「イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。『父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください』」(ヨハネ17:1)
ところで、旧約聖書に登場するヨセフは、誇大妄想と思われるような大きな夢を見ました。これは神の御心でした。
しかしその夢は10代、20代の若い時に実現するのではなく、30歳の時に実現しました。それまでは、兄弟たちから半殺しの目に遭い、奴隷として売られ、その売られた主人の妻からは誘惑され、さらに濡れ衣を着せられ、牢屋に入れられてしまいました。牢屋で2人の囚人に夢を解き明かし、出してもらえるように伝えてほしいとお願いしますが、忘れられてしまいました。
しかしある日、その時が来ました。王が理解できない夢を見て悩んでいるときに、ヨセフのことがやっと思い出され、牢屋から出されました。王の夢を解き明かし、エジプトナンバー2の地位に引き上げられました。かつて見た夢が実現したのです。
人生において、まず何よりも大切なことは「神の御心を知る」ことです。しかし同時に「神の御心が実現する時が来るまで待つ」ことが大切です。焦りは禁物です。
「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を」(詩篇27:14)
あなたに対する神の御心を知り、その実現の時に備えて希望を持って生きていきましょう。
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