日本文化の源を探ると、古代のユダヤ社会から伝えられた痕跡が数多く見つかるそうです。ユダヤ人に受け継がれた唯一の神様への信仰が、多神教とされる日本社会に伝えられ、日本人の信仰心にどのような影響を与えたのか大変興味深いところです。
離散したユダヤ人
ユダヤの歴史をひもとくと、北イスラエルは紀元前722年にアッシリアによって、南ユダは紀元前586年にバビロニアによって滅ぼされました。その後、帰還を許された一部のユダヤ人がエルサレムに神殿を再建しましたが、紀元70年、ローマによって再び滅ぼされ、ユダヤ人たちは3度の離散を経験して世界中に移り住むようになりました。
1948年にイスラエルが建国され、多くのユダヤ人が帰還しましたが、現代においても世界各地でユダヤ人の共同体を確認することができます。イスラエル以外の国に住むユダヤ人は、確認できるだけで約770万人ですが、この数はイスラエル本国に住むユダヤ人の数より多くなっています。
このような共同体が約2千年の長い年月を経ても数多く存在するのは、彼らが世界各地で迫害され、孤立する中、信仰によってアイデンティティーを守ってきた歴史を示しているわけです。
しかし離散したユダヤ人の中には、安住の地を見つけ、その土地の住民と同化していった人々も多かったはずです。争いの絶えない大陸から海を渡り、極めて平和で豊かな日本に渡来したユダヤ人が、日本社会に溶け込み、日本人の文化や信仰心に大きな影響を与えたとしても不思議はありません。
日本神道への影響
古事記には、数多くの神様の名が記されていますが、この世界が創造されたときには「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」を中心とする「造化三神」と呼ばれる3つの神様だけが登場します。これは、聖書が示す三位一体の神様に似ています。
また、日本には多くの神社がありますが、神社の構造は、拝殿と神殿によって構成され、かつてユダヤに存在した神殿の、聖所と至聖所の構造や役割に似ています。
神社のご神体は、神が臨在する場を示していますが、ユダヤの至聖所にあった「契約の箱」も同じです。「契約の箱」の中には、杖、石板、つぼが入っていましたが、神社のご神体の基本も「三種の神器」と呼ばれる、剣、鏡、勾玉(まがたま)ですので、これもよく似ています。
また、神道が多神教であることを示すとされる「八百万(やおよろず)の神」は、神様をかたどった偶像ではなく、三種の神器と同じように、神様が臨在する場や祈りをささげる場(依代)を示しています。
このように総じて見れば、日本の神道は偶像礼拝を避け、神様に向かう姿勢や場を整える役割を担っていることになります。これらは、日本に渡来したユダヤ人の影響を強く感じさせるものです。
日本の仏教への影響
初期の仏教には、信仰の対象自体がはっきりせず、仏像のような偶像も存在しませんでした。しかし、次第に「極楽浄土」に導く仏の存在が表現されるようになり、仏をかたどった仏像が数多く造られました。
本来、死後の世界に関心のなかった仏教に「極楽浄土」が描かれるようになった時期は、救い主(イエス・キリスト)を信じたユダヤ人が、アジアに離散した時期と重なります。
おそらく聖書に示される「救い」や「天国」の存在が、初期の仏教に影響を与えた可能性が高いのでしょう。このような影響を残したユダヤ人の一部が日本にもたどり着き、日本の仏教にも影響を与えたように思います。
日本に存在するさまざまな仏の特徴が、聖書の示す救い主(イエス・キリスト)に似ていることも、そのことを示しています。
日本人の信仰姿勢
一般的に、仏像や仏壇は偶像礼拝につながり、聖書信仰の妨げになると考えられています。確かにそういった一面はあると思います。しかしながら、現代社会の多くの日本人にとって、それらは信仰の対象(偶像)というより、むしろ祈りをささげる場(依代)の役割を担っているように感じます。これは、神道のご神体に向かう日本人の姿勢とほぼ同じです。
おそらく、自然界の八百万の神、多くの神社や寺院、墓、仏像、仏壇だけでなく、教会や十字架さえも祈りの場(依代)と捉えてしまうのが一般的な日本人なのでしょう。
日本人は多神教なのではなく、大いなる方(唯一の神)を求め、神様の臨在や祈りの場を巡っているだけなのかもしれません。
このような依代は、それぞれの共同体の中で大切に受け継がれてきたものも多く、安易に取り除くことは避けたいものです。
数年前に長寿を全うされて召されたある方は、若い頃に信仰を持ち、洗礼を受けておられましたが、先祖から受け継がれた仏壇の前で長年祈っておられたので、クリスチャンであることが同居の家族にも分かりませんでした。
感謝なことに、娘様が信仰を持ち、共に教会に集うようになったため、この方の祈りの場に教会堂が加えられました。しかしその後も、仏壇の前が祈りの場であることに変わりはありませんでした。この方にとって仏壇は、天のお父様に祈りをささげる大切な依代だったわけです。
この方が召された後、遺族と共に仏壇の前で祈り合うことができましたが、大変良い時間だったと思います。先祖代々受け継がれた仏壇も、神様の栄光を表す祈りの場に変えられることを、改めて実感した次第です。
日本人に寄り添う宣教
多くの日本人が大いなる方(唯一の神)に心を向け、神様の臨在や祈りの場を求めているならば、私たちも、彼らが祈りをささげる場に真の神様の臨在を持ち運ぶことを選びたいものです。
十字架の掲げられた教会堂で祈ることも大切ですが、神様が導いてくださるなら、教会堂を離れ、日本人が祈りをささげたい場に彼らと一緒に出かけ、そこに集う人々の祈りを天の父なる神様に届けたいものです。
そのような姿勢こそ、天の位を捨て、私たちに寄り添ってくださったイエス・キリストの御旨であり、宣教を進める基本のような気がしています。
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