今日も夜勤の仕事が終わり、早番の職員に申し送りをして帰るところでありました。
私は引き止められ、「コーヒーでも飲んでゆきなよ」と早番さんが私のためにコーヒーマシンでコーヒーを入れてくれました。「ミルクと砂糖はいる?」私はうなずき、甘いコーヒーを頂きました。
介護職はきつく、つらい仕事です。お金も決していいわけではありません。そのような仕事に流れ着いてくる人たちには、それぞれの物語がありました。この早番さんは、女手一つで4人の子どもを育てているといいます。下の子はまだ小さく、2つか3つだったはずです。
就職にあぶれて、この仕事に行きついた若い男の子もおりました。警察官を目指しており、来年の試験に向けて頑張っていると言っていました。若いのに家にきちんとお金を入れていて、女手一つで育ててくれたお母さんを大事に守っている頼もしい子でありました。
髪を明るく染めたチリチリパーマの女の子もおりました。悪口を言うのが大好きで、何かあるとすぐにいじけてタバコを吸いに行ってしまいますが、力仕事は得意でした。
苦手な人もいましたし、好きな人もおりました。私が現在担っているのは一人でできる夜勤職ですが、夜勤の専属を任される前は、早番、遅番、夜勤とローテーションを組んで働く常勤も2年近く経験しました。
日中の仕事は2人で組になって働かなければなりません。体も丈夫ではなく、神経の細い私は苦手な人と組むたびに、吐き気をもよおすほどにつらかったことを覚えています。苦しみの時、詩編と共に祈りました。詩編の叫びと共に叫び、うめき、主を求め、主の約束に安らぎました。
「神よ、われらはあなたに感謝します。
われらは感謝します。
われらはあなたのみ名を呼び、
あなたのくすしきみわざを語ります。
定まった時が来れば、
わたしは公平をもってさばく。
地とすべてこれに住むものがよろめくとき、
わたしはその柱を堅くする」
(詩編75:1~)
苦しみの時は、主の約束の再臨の時を待ち望み「主よ、来たりませ」と涙を絞って叫びました。いつか来る、主の再び来られる時、主の王国ができる時、その民として本当の安きの中で生きる時、それを思うことだけが慰めであり救いでした。
しかしいくら私が「主よ、来たりませ」と叫んでも、主の時は本当の最善の時に用意されているものでした。本当の最善とは、私たちの願いよりはるか高いところにあり、私の願い通りにはいかないことばかりでした。
「もう無理です、限界です」と叫んでも、なかなか道の開かれないときが多くあるように感じます。主は私たちの御用聞きではなく、主の御旨を成したもうお方であり、主の御旨こそが、私たち一人一人にとっても永遠の目で見たときには最善であるのでしょう。私はなかなか、はるか高きにある主のまなざしを理解できず「なぜこんな苦しみに遭わせるのか」といら立ち、悲しい思いにさいなまれました。
車に乗り込むと、エンジンをかけて家に帰ります。今日もくたくたのボロボロです。ぼろ雑巾のようになるまで働いたあとは、主が甘い蜜の中に沈めてくださり、私を癒やし、汚れた心を洗ってくださるのです。どんなときも、御言葉の中に、祈りの中に飛び込めば、主の広い胸に顔をうずめるように、十分に慰めも安らぎも与えられました。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)
御言葉は真実でありました。主が真実な方だからです。雲の光の間から、聖歌が響いているようでした。「ひとびとはイエスの教えを」という聖歌でした。私も口ずさみながら、ハンドルを切りました。
♪人びとはイェスの教えを 旧(ふる)しとて見向かず
「新しきことを宣べよ」と 嘲(あざけ)り顔に言う
古びはせじ古びはせじ 尊きはイェスの教えぞ
よし世はいかに 嘲るとも
動かぬはげに この教えぞ
人びとはイェスの十字架を 卑しめてうち捨て
「珍しきことはなきか」と 尋ねつつさ迷う
古びはせじ古びはせじ 尊きはイェスの教えぞ
よし世はいかに 嘲るとも
動かぬはげに この教えぞ♪
家に着くなり、部屋に向かいベッドに倒れ込みました。主が私のまぶたを重くして、休みなさいと言うようで、私は着替えもせずにそのまま毛布にくるまりました。まぶたの裏が、万華鏡が回るようにチカチカ色づいて、小菊の花びらの散りばめられた小菊時計が浮かび上がります。私はいざなわれるように、その時計の針の渦の中に吸い込まれてゆきました。
*
放蕩の果てで、家に帰った私の前には、毎晩、盛大な祝宴のようにごちそうがテーブルいっぱいに並びました。父も母も何も聞かず、何も語らずとも、私が帰ってきたことをそのように祝ってくれたのです。
私は久しぶりに十分な栄養を取り、こけていた頬もふっくらとし、あれだけひどかったできものも少しずつ治っていったのです。主に存分に愛され、主の下さる、よく熟したりんごで力づけていただいているような、優しい回復の時間が流れました。しかし、十分な休息が与えられると同時に、主の言葉が心に響くようでありました。
「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」(ヨハネ5:8)
私は少しずつ、働くことを考え始めました。しかし学業もおろそかにして放蕩の道に沈んだ私に、どのような仕事ができるというのでしょうか。・・・聞くところによると、‘介護’ の仕事は経験や年齢も不問にして働かせてくれるというのです。必要な資格も、働きながら取ればいいとネットの広告に書いてあります。私はぱたんとパソコンを閉じて、枕に顔をうずめました。
「できるわけがない! どうして私が ‘そんな仕事’ をしなければならないのか!」頼まれたわけでもないのに、そう一人憤ったのです。私のまぶたに、化粧を施しきらびやかな服を着て夜の街を闊歩(かっぽ)した日々がよみがえります。
私は何でもできるはずでした。世界は私にひれ伏し、ちやほやともてはやされて、自由にならないことなどないはずでした。その私がどうして ‘そんな仕事’ ができようか。そう憤ったのです。
私の心は長い放蕩の果てで、高ぶっておりました。そして、そのことに私自身が気付き始めていました。ここまでやりたくないと思う私の心に気付かされ、それは導きのようでありました。
天で持っている神の子たる身分を捨てられて、己をむなしくしてこの地に下られた主、私たちに仕えられた主・・・病の人に触れられ、その御手で癒やされた主、弟子たちの足を洗われた主、私の愛するイエス・キリストは、どこまでも己を低くして、故に高く上げられたお方です。私は少なからず、イエス様を愛していました。心は激しく葛藤しました。
「主よ、無理です。私には無理なんです」。主に泣きながら懇願しました。「私は愛のない者です。赦(ゆる)してください」
そう祈りながら、心は ‘介護の仕事’ に釘付けでした。「いったいどんな人が、こんな仕事ができるというのだろう」「そんな人になってみたい」。主は私の心の深いところにある、そんな願いに気付かれていたことでしょう。
*
今、その仕事も5年目となりました。私は自分の願った人になれたわけではありません。優しさを尽くせないことに直面し、愛のなさに向き合わされるばかりです。肉体の弱さにがくぜんとし、罪の血が、体の隅々までを支配していることを知るばかりです。
しかし、それ故に主の愛が差し迫ってくるのです。主の完全なる愛、まったき愛が迫ります。主が私たちに仕えられ、己の命まで与えられたように、自分では起き上がることもできない力なき人に、主がそうしてくださったように仕えたいと願いました。
低く、むなしい者のようにされ、主の涙と愛を知りたい。そう、主へと向かう道でありました。思うようにできないことばかりであり、それ故につらい仕事でありました。祈ることしかできない弱き器であることを知り、故に主を見上げる道でありました。(つづく)
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ところざきりょうこ
1978年生まれ。千葉県在住。2013年、日本ホーリネス教団の教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、千葉県に移住し、東埼玉バプテスト教会の母教会である我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫4匹と共に暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「ところざきりょうこ 祈りの部屋」「ところざきりょうこ 涙の粒とイエスさま」。※旧姓さとうから、結婚後の姓ところざきに変更いたしました。