この連載コラムは12回までの予定です。残り4回分の内容を考えて取材の準備をしていましたが、今回はちょっと予定変更です。なぜなら、予想外のアクシデントがあり、良いネタができたからです。それは病院です。
皆さんは、米国の病院と聞くと、どんなイメージを持っているでしょうか。日本のヤフーで「アメリカ」「病院」と検索ワードを入れたところ、次に出てきた関連ワードは「高い」でした。この3つの単語で検索した結果を見ていくと、「医療費が払えずに自己破産に陥る」「救急車が有料」などと書かれたウェブサイトが出てきました。特に私の住むニューヨークについては、米国の中でも医療費が群を抜いているとあり、目につきました。日本のように国民健康保険があり、全員が医療保険に入れる(入らなければならない)制度が昔からある国からすると、「米国でけがや病気はするものじゃない」と思うでしょう。そのため、多くの日本人ビジネスマンや学生は、日本で海外旅行保険に入ってから米国に来られます。ニューヨークには日本の医療機関もあり、海外旅行保険を使えるので、とても便利で安心だからです。
しかし、私のように長く米国にいる人は、日本の海外旅行保険を利用することはできません。ですから、バラク・オバマ政権が進めた医療保険制度改革法(通称「オバマケア」)による公的医療保険や民間医療保険を利用することになります。
オバマケアは、国民の医療保険加入を義務とするものです。2014年1月1日に施行され、前年13年10月1日からは「医療保険マーケットプレイス」というものも開設されました。これは、国民が公的医療保険か民間医療保険を選ぶために便利なものでした。また、公的医療保険を利用する場合も、保険プランは幾つもあり、それらを比較して選ぶことができるのです。つまり、日本の公的医療保険は1種類ですが、米国の公的医療保険は国民が自分にあったプランを選ぶことができるのです。
公的医療保険に関しては、日本と同じように収入に合わせた保険料が設定されます。私はオバマケアによる公的医療保険に入っていますが、通常の保障内容に加え、歯科と眼科のカバープランもプラスしています。その分の保険料は高くなりますが、私の場合は内科や外科にはあまりお世話になることがなく、日本と比較して高額だといわれている歯科の方が大事でした。また、私は目の病気を抱えているので、眼科のプランも必要と判断したのです。
さて、病院の話に戻します。私は7月7日、顔を6針縫うけがをして救急病院に運ばれ、翌朝まで過ごすことになりました。その日、私は息子と、ニューヨーク・メッツのホーム球場であるシティフィールドで、マイアミ・マーリンズ戦の試合を見ていました。弱小チームといわれているメッツが今年は調子が良く、この日も10対0で快勝しました。メッツファンの私は浮かれており、大喜びで息子と球場を出たのです。ところがそこでアクシデントが起きました。一瞬よそ見をしたときに転んでしまったのです。シティフィールドの中は明るかったのですが、外は真っ暗。ちょっとした隙間が歩道にあったのですが、気付きませんでした。スニーカーではなくサンダルだったこともあり、つま先がその隙間に引っかかってしまったのです。
とっさに両手を前に突き出しましたが、体を支え切れず、頭をコンクリートの歩道に打ち付けてしまいました。すると、見る見るうちに出血し、ぽたぽたと血が歩道に落ち始めました。慌てて持っていた紙ナプキンで押えたものの、出血は止まりません。私は痛みをこらえながら、どうするべきか考えを巡らし、「ここはまだシティフィールド内。この施設のメディカルチームを呼んでほしい」と息子に頼みました。すぐにメディカルチームが来て応急処置をしてくれたため、出血は止まりました。また、スタッフが、「傷口が開いているので、今すぐ救急病院に行ってほしい。ここから車で10分程度の所に24時間やっている病院がある」と言いました。息子はすぐにウーバーを呼び、私を救急病院へ連れていってくれました。
病院に着いたものの、待合室にはたくさんの人が待っていました。「これは時間がかかるな」と感じ、することもないので、「これも神様が与えてくれたチャンス! この体験をコラムにしよう」と思い、病院内をよく観察することにしました。見ていると、病院スタッフの役割はそれぞれ細かく分かれており、各自が分担して自分の持ち場で働いていました。
例えば、最初に話をした人は「トリアージ」の担当者。「トリアージ」という言葉は、医療ドラマなどで、一度は聞いたことがあると思います。英語らしくない言葉だと思っていたら、やはり語源はフランス語でした。トリアージとは、患者の重症度に基づいて治療の優先度を決定して選別を行うことです。トリアージの担当者は、私の傷は緊急性なし(応急処置は済んでいる)と判断しました。
すごいと思ったのは、英語が不自由な人や痛みでうまく話せない人のために、医療通訳者や医師が、モニターや携帯電話を使って患者と話をしてくれることです。私の後に来たラテン系の男性は英語が分からなかったようで、トリアージの担当者は携帯電話で通訳サービスに連絡し、患者は自分の母国語で状況を説明することができました。さすがはメルティングポット(人種のるつぼ)と呼ばれるニューヨークの医療機関です。
次は受付です。ここで身分証明書と保険証を提出しました。私の情報は全てコンピューターに入力され、バーコードが印刷されたステッカーシートを手渡されました。その中にはリストバンドもあり、私はそれを付けて待合室で待ちました。すると今度は、看護師が待合室に血圧と体温を測れる移動式の機器を持って現れました。具合の悪い患者を検査室に移動させるのではなく、看護師が必要な機器を持って待合室に来るというのは、合理的だと思いました。体重や身長が分からない人には、待合室のすぐ隣に計測する場所があり、そこにも別の担当者がいました。数値はバーコードをスキャンすると、コンピューターに送信されました。ニューヨークにはさまざまな人種がいますから、聞きなれない名前や似たような名前がたくさんあります。バーコードと名前の両方が記されたステッカーやリストバンドがあれば、聞き間違いや見間違いは防げます。とても良いアイデアだと思いました。
数時間待たされた後、今度は医師がいる救急処置室に移動します。この移動させる係も別の人でした。処置室は広く、カーテンのみで仕切られた個別スペースに、患者が一人ずつ入れられます。カーテンで仕切られているだけなので、処置室全体の音は聞こえます。英語ができない患者が電話通訳を使って看護師や医師とやりとりしている声、痛みで苦しんでいる患者の声、中には手錠をかけられたまま警官に付き添われて来た患者もいました。真夜中の救急病院にはいろいろな人がいるなあと思いつつも、私は少し気分が落ち込んでいました。処置室には患者以外が入ることはできなかったので、一人で心細かったのです。本来なら、今頃は野球の試合の興奮を息子と家で語り合っていたはず。それなのに、こんな騒ぎになり、息子にも申し訳ないやら、情けないやら、悲しいやら、痛いやらという複雑な気持ちでいました。
しかし、そんな私の気持ちを少し救ってくれたのが処置室のテレビ。もちろん音は出ていませんが、画面に文字が出ているので、内容が分かります。普段ならばかばかしくて見る気も出ない番組でしたが、気分が落ち込んでいる患者たちの気を紛らわせるには役立っていました。また、看護師の明るさにも救われました。時々、彼らは患者を見回りに来て、「ハロー、私のフレンド!気分はどう?」と声をかけてくれました。患者というのは、とても不安な精神状態にあります。「私のフレンド!」と明るく呼びかけてくれる看護師の笑顔は、患者の気分を癒やしてくれます。
そして、いよいよ医師の登場です。傷を見た後、「うーん、6針ぐらい必要かなあ~」と言って、私の座っていた椅子の背もたれを倒してベッドのようにし、縫合を始めました。縫合後、医師は「大丈夫?めまいや吐き気はない?私の頭が2つに見えたりしてない?」と、少しジョークを交えて質問。その後は、「今後どうすれば良いかは全部紙に書いて渡すから、それをこの処置室の事務スタッフから受け取って。家でよく読んで、1週間後にまた来て。予約は要らない」と言われました。
しばらくすると、処置室の事務スタッフが、書類を6枚ほど持ってきました。内容は、この日の治療の説明と担当医名、治療後に気を付けなくてはならないこと、病院の連絡先などでした。患者は治療中、痛みなどで医師の話をきちんと聞けないこともあります。後で全て大切なことを文字で読み返せるのは助かります。そして日本と違ったのは、この後すぐ帰ってよいことでした。治療後に会計で待たされることはありませんでした。治療後に保険会社と病院がやりとりし、患者が支払う金額が決まるからです。請求は後から来るわけで、それはオンラインで、クレジットカードで支払えばOKなのです。
しかし、医療保険に未加入の場合などはどうなるのでしょうか。実はニューヨークでは、万が一払えるお金がない場合や医療保険に入っていない場合、病院と交渉も可能なのです。例えば、ニューヨークには、H+H(Health + Hospitals)オプションという制度があり、無保険でも収入に応じた料金で受診できる病院「NYC Health + Hospitals」(英語)が市内に幾つもあるのです。つまり、移民ステータスがなくても、無保険でも、お金がなくても、最低限の治療はきちんと受けさせてもらえるのです。これは素晴らしい制度です。
病院が好きという人は、あまりいないと思います。特に米国の病院は高くて敬遠したくなる場所というイメージがあるかもしれません。しかし、今回のアクシデントを通して、現在のニューヨークの病院の姿を自分の目で見ることができました。病院はテクノロジーの発達によりシステム化され、非常に合理化されていました。また、貧しい人も、外国人も分け隔てなく、みんな安心して治療を受けられる場所であることを知ることができました。
確かに、よそ見をして転倒したことは、不運なアクシデントでした。しかし、私はこのアクシデントを通して、思い出した言葉があります。それは、新約聖書のピリピ人への手紙4章(口語訳)にある言葉です。クリスチャンの素晴らしいところは、一見、不運に見える出来事でも感謝できることです。
「わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ」(11節)
「ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている」(12節)
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」(13節)
ノンクリスチャンの人は、私の無理なこじつけだと思うかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか。まず転倒したとき、若いお節介な米国人が寄ってたかって私にティッシュを差し出し、「何をすればよいか」と尋ねてくれました。その中に野次馬は一人もいませんでした。そこには人種差別も何もなく、隣人を心配する愛だけがありました。アクシデントが起きた場所が、まだ球場の敷地内だったことも幸いでした。もしもあと20メートルぐらい先だったら、敷地を出てしまっていて、メディカルチームが応急処置をしてくれなかったでしょう。
また素人判断で傷口を放置していたら、傷口は塞がらず、アニメのダークヒーローみたいな顔になっていたかもしれません。すぐ近くに24時間対応の救急病院があり、それがキリスト教の病院であったことも偶然とは思えません。そして何よりも、このアクシデントが、日英バイリンガルの息子と一緒にいたときに起きたことです。もしも息子がいなければ、私は自分一人で痛みをこらえながら、英語で話さなくてはなりませんでした。言葉のことだけでなく、予期せぬことが起きたときに信頼できる人が傍にいてくれることは、心強いものです。
あまり病院にご縁のない健康体の私が、米国の病院で実際に体験したことについて書ける機会を与えられたのも、恵みだと思います。私たちは生きている中で、度々不運な出来事を経験します。しかし、そんな中でも、新たな発見や学ぶことは必ずあるはずです。米国の病院事情も昔とは違ってきているのではないでしょうか。今回のコラムを読んで、米国の病院に対するイメージが少しでも変わり、安心して米国を訪問してもらえたらうれしいです。
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