2015年の第12回本屋大賞にノミネートされた直木賞作家・辻村深月による同名の「お仕事小説」を映画化。主演は吉岡里帆。共演は中村倫也、工藤阿須加、小野花梨、柄本佑、尾野真千子らである(個人的には六角精児の不気味かわいい演技がツボだった)。19年には舞台化もされており、いわゆる「知る人ぞ知る名作」である。
物語の舞台は日本のアニメ業界。「超ブラック」「社畜」という言葉がよく当てはめられるこの世界で働くクリエイターたちに、実際に数多くのインタビューをすることで作り上げたといわれている本作。確かに、かつての「オタク文化」が「ハケン(覇権)」を取った現在を見事に活写しているといえる。
某評論家が「映画の中でアニメが週刊誌の一面を飾る場面があるが、そんなことなんてない。そこで引いてしまった」という趣旨のことを語っていたが、それはあまりにも作品を客観視し過ぎだろう。アニメであろうと、文学であろうと、マンガであろうと、その世界にハマった者たちのインナーワールドを敷衍(ふえん)した作品という前提があるのだから、それをそのまま受け入れることがマナーだろう。言い換えるなら、このあたりのシンクロ率を上げることができるなら、本作は観る者の心に「刺さる」一作となるはずである。
物語の冒頭、主人公の斎藤瞳(吉岡里帆)は、大学卒業後に就いた公務員を辞し、アニメ業界に転職することを決意する。面接で彼女は、自らの決意を表明する。王子千晴(中村倫也)監督のアニメ作品に触れて世界が変わったとし、それを超える作品を作りたいと言うのだ。そして、その熱意の理由を語ろうとするところで場面が変わり、物語の本編がスタートする。なかなか興味引かれるオープニングである。
王子千晴とは、7年前に制作したアニメが話題を呼び、一躍、アニメ界(業界のみならずファン層も含む)の寵児(ちょうじ)となった人物である。今でいうところの「インフルエンサー」として、アニメ界に君臨している。その彼が作ったアニメを見て、この世界に足を踏み入れた斎藤瞳は、7年という月日の中で頭角を現し、ついにオリジナル脚本のアニメ監督を任されることになる。しかし彼女の前に立ちはだかるのは、彼女が憧れていた王子千晴その人であった。彼の7年ぶりの監督作品が、同時刻に他局から放送されることとなり、新人監督と人気監督のガチンコ勝負として、世間では騒がれ始める――というのが大筋である。果たして斎藤瞳は王子千晴に勝てる(作品視聴率で相手を上回れる)のか。そして彼女はなぜ、前職を投げ打ってまで、この業界に入ろうとしたのか。両監督が作品を通して伝えたいメッセージとは何なのか。2時間8分という長尺ながら、その時間を感じさせない見事なエンタメ作品である。
だが、私が本作に感動したのは、極めて個人的な要素もある。それは、主人公が公務員を辞めてアニメ業界に入った、というくだりである。実は私も同じ体験をしている。彼女は安定した職を捨てて、毀誉褒貶(きよほうへん)が激しく、しかも経済的にも不安定極まりないアニメ業界に転職した。私も小学校教員という職を捨て、キリスト教界(一般的には不安定、低収入といわれている)に参入した。目指した業種は異なるが、「目指したもの」には共通するものが大いにあると思う。それは「届けたいという思い」である。
本作は、牧師が自らの献身と説教準備のことを思い返しながら鑑賞することで、忘れられない一本となるだろう。なぜなら、アニメ作品も教会で語られる説教も、「受け手に伝えたいことがある」という意味では同じベクトルを持っているからである。また、「人々が漫然と眺めているこの世界に『新たな色』を提示するのだ」という伝える側の矜持(きょうじ)においても共通するものがある。そうでなければ、アニメは「売らんがための惰性シリーズ」となるし、教会で語られる説教は「集会を滞りなく進めるためのプログラムの一つ」に堕してしまうだろう。
本作は、そういう惰性や既定プログラムから脱したいと願う人たちが、自らの創造力を駆使して「世界」を変えようと奔走する姿を描いている。ゼロから1を生み出すことがどんなに大変でしんどくても、それをやり続ける以外にこの世界に「新たな色(自分の中のリアル)」を提示することはできない。だから筆(映画では電子ペン)を取るしかないし、頭の中にあるものをアウトプットし、試行錯誤を繰り返すしかない。
これは、説教準備の過程も同じだ。多くの人は、この世界を自らが感じた通りのものだと受け止めている。やがてそんな「世界」という意識すら持たなくなり、漫然とした世界観を当たり前として受け止めていく。だが、牧師が語る説教とは、そういう漫然とした世界に鮮やかな「新たな色(信仰者のリアル)」を投げ込むようなものだ。アニメ制作者(主に監督)が、フィクショナルな「作品」を通して「新たな色=自分の中のリアル」を提示するように、牧師は数千年前に書かれた「聖書」という書物を通して、現代に生きる私たちに「新たな色=信仰者のリアル」を開示していく大役を担っているのだ。しかも、キリスト教が誕生してすでに2千年近くがたっているため、この世界にはすでに多くの「新たな色」が加えられてきた。そして「色を加える手法」も研究され尽くしている。
そんな中で、こんなちっぽけな自分が一体何を加えることができるのか。そんな葛藤が、説教者には常にある。注解書や有名牧師の説教集から「コピペ」すれば、聴衆は納得し、礼拝が終わった後に「先生、とても良い説教でした」と自分をねぎらってくれるのではないか。なかなか人にはストレートに伝えられないさまざまな誘惑と戦い、それでもなお「今、ここで語られるべき神の言葉」を取り次ぎ、集う人たちの心に刺さる「新たな色」が今日も創出されることを願って、日々の研鑽(けんさん)を積み上げるのである。
本作は、人間の創造性を尊いものとみなし、他者へ真摯(しんし)なメッセージを伝えようとするクリエイターたちの汗と涙を見事に描いている。その姿は、業種は異なるが、牧師が毎週日曜日の説教のために葛藤する姿と重なるところが大いにある。ぜひ牧師の皆さんにこそ観てもらいたい一作である。共に語り合いたいと本気で思わされる秀作である。
■ 映画「ハケンアニメ!」予告編
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