本作のホームページには、以下のように書かれている。
伊澤春男、45歳。スーパー“ウメヤ”の万年フロア主任で、家では典型的なマイホームパパ。一見平凡に見える春男だが、その脳内では日々妄想が炸裂し、毎日が戦場と化しているのだった――!
約2時間の映画の内容を見事にまとめている。本作は、3児の父であり、地方でチェーン展開しているスーパー「ウメヤ」に勤務し続ける45歳の男性を主人公にしたホームコメディーである。主演は「TEAM NACS」のメンバーで、超個性派俳優である安田顕。共演は小池栄子、岡田結美、ファーストサマーウイカらである。原作は、お笑い芸人のつぶやきシローによる同名小説。監督は「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」(2018年)の李闘士男。李と安田は、これが2度目のタッグとなる。
本作の特徴は、表面上進んでいる物語に対し、安田演じる春男の「脳内ボイス」が絶妙なタイミングで被ってくる点にある。客観的に見ているだけでは決して分からない春男の言動(それは本当に奇想天外で、あまりに突出した個性の表出である)に対し、どうしてそうなってしまったのかを「脳内ボイス」が補完することで、彼の葛藤や心の動きが伝わってくるのである。そして彼のある種「空回りぶり」が伝わってくるだけに、その一生懸命さを笑ったり、けなしたり、時には思いを重ねて「頑張れ!」と心の中で応援してしまったりすることになる。
40代後半から50代の男性にとって、春男は決して他人事ではない。そこに自らの姿を見いだし、彼が慌てたり憮然としたりするその様に自分の日常を見てしまうことになる。つまり、自分の何気ない日常をカメラで撮られ、それを他者(映画の観客たち)と見ているような、そんなばつの悪さも感じてしまうことになる。
本作のタイトル「私はいったい、何と闘っているのか」は、まさに的を射ている。春男は、会社で「闘い」、家庭で「闘い」、そして日々闘いに明け暮れている「自分」とも闘っている。自分を見つめる「もう一人の自分」から闘いを挑まれているといえよう。こういう「入れ子構造」のメンタリティーは、日本人ならよく分かるであろう。
よく言われることだが、日本人はセルフイメージが低く、自己肯定感が少ない民族である。その一つの要因は、「もう一人の自分」をいつの頃からか想定し、「俺は何をやっているんだ!」とか「私っていつもこうだよね」という声にさいなまれて大人になることにあるのであろう。
例として挙げるなら、漫画「ちびまる子ちゃん」に登場する「藤木くん」のようなものである。藤木くんは周りから「卑怯」と言われ、もう一人の自分もその言葉を自分に向けて投げ付ける。そして本人はそんな「卑怯な自分」と日々闘い、葛藤することになる。この漫画の魅力は、一般的な少女漫画とは異なり、登場するキャラクターの中に読者が自分を見いだしてしまうことにあるのだろう。しかも恥ずかしくて人に言えないようなダークな部分や、なるべくなら知られたくないような性癖にこそ、目が留まる。
本作もまた、同じ構図を持っている。願っていた昇進の話が立ち消え、意気消沈する春男が「ばかやろう!」と叫ぶ。しかしその叫び声は、他の人に聞かれないかと気を遣いながらの「ばかやろう」となる。すると「あるある」と私は思ってしまう。また、家族に良かれと思って配慮していたはずなのに、それを「何も言ってくれない」と責められ、立場を失っていく彼の姿に、なぜか自分を重ねてしまう(笑)。
本作には、「箱庭療法」のような心理学的効果があるように思う。自分を客観視し、その姿に笑い転げ、涙し、そして勇気を得る。自分の問題や葛藤を一定の距離感を保って眺めることで、「こんな些細なことに悩んでいたのか」とか「こうすればいいじゃないか」と思わず突っ込んでしまいたくなる。そしてラストで、観客は爽やかな気持ちにさせられる。これぞ映画セラピーというべき一作である。
観終わってこんな聖句が浮かんできた。
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(1コリント10:13)
客観的に見る。これは物事を正常に考え、効率的に推し進める基本中の基本である。しかし、いつしか私たちは主観の中に陥ってしまい、慌てふためく自分を責めたり、恥じたり、時には愚痴り倒したりしてしまう。そんな時、もう一方からの視線(視点)に気付くべきだろう。それが聖書の語る「神の視点」である。私たちが一生懸命に問題に対処しようとしているとき、あおったり、いたずらにけなしたりするのではなく、温かく見守り、そっと解決の糸口を示してくれる、そんな「知恵に満ちた」視点が必ずどこかにあるはずである。「あるはず」という前提で探すとき、それは聖書の中で多々見いだすことができる。
原作の著者がつぶやきシローであることは先に述べた。彼の芸風は、悲哀に満ちた言動を面白おかしく笑い飛ばす視点を私たちに提供するという意味で、まさに「逃れの道」にも通ずるものがある。かといって、つぶやきシローが神だとは言わないが(笑)。
何をやっても「ほどほど」「突き切れない」と感じているであろう中年以上の男性諸君、ぜひ年末に「一人で」本作を観にいってもらいたい。きっと「逃れの道」を本作に見いだすだろう。
■ 映画「私はいったい、何と闘っているのか」予告編
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