緊急事態宣言下だった6月11日、一本のアニメ映画が全国で公開された。映画館が時間短縮ながらオープンしたことで、私も本作を鑑賞することができた。直木賞作家、西加奈子の同名小説を原作とし、渡辺歩監督の下、STUDIO4℃がアニメ化したものである。そして何よりの話題は、映画の企画・プロデュースを明石家さんまが手掛けていることだ。本作に関わる彼のトークが、各種メディアでも取り上げられている。加えて話題なのは、元妻の大竹しのぶが主人公・肉子の声を担当し、木村拓哉と工藤静香の長女である Cocomi が、その娘であるキクコの声を担当していることである。Cocomi は映画初出演にして初のアフレコとなる。
上映時間は97分と、映画としてはミドルクラス。そして作品のクオリティーは、良い意味で「見慣れたもの」。そのため、安心して観ていられるし、こういう作画にしたのは、ファミリーでの鑑賞(感染対策のため席は離れて座るだろうが・・・)ということも想定してのことだろう。
しかし、ストーリーは恐ろしく昭和チックだ。冒頭から、まるで演歌の歌詞のように、男にいいように利用されては捨てられる母親・肉子(当然あだ名である)の彷徨(ほうこう)の旅が語られる。大阪から次第に北へ北へと流れていくにつれ、さらに悪い男運に絡み取られていく肉子。そして、その姿を傍から見守る娘のキクコが、本作のナビゲーターとなって物語を引っ張っていく。やがて小学高学年になったキクコの身辺にもいろいろな出来事が発生し、その中で肉子とのコミュニケーションに「微妙なずれ」を感じ始めることになる。鍵となるのは「お母さんとあまり似てないね」という周りからの声である。そしてついに明かされるキクコの出生の秘密――。ここから物語は大きく変化し、母親とは何か、命とは何かを真剣に問い掛けるシリアスなドラマへと転じていく。
その展開も大体読めるものなので、それほどサプライズ感はないが、分かっていても思わずほろりとさせられてしまうのは、監督の演出力のなせる業かもしれない。いずれにせよ、命の大切さを大人から子どもにまで分かりやすく説く、良作といえよう。
しかし、本作をめぐっては、ある点で賛否が真っ二つに分かれた。それは映画そのものではなく、公開日にツイッターにトレンド入りしたあるフレーズをめぐる現象である。宣伝のために、映画の内容をコンパクトに表すキーワードやフレーズを、「#」が付いたハッシュタグにしてSNSに投稿することは、今や通常のこととなっている。本作でもこれが行われた。それは「#みんな望まれて生まれてきたんやで」というもの。確かに本作の肝となる言葉であり、肉子がキクコに対して投げ掛ける「温かい言葉」の一つである。カッコつきで表記したのは、実はこのフレーズに対する反応が賛否真っ二つだったからである。
好意的なコメントは「本当に心にしみた」「分かる、分かる」というような素直な内容のもの。しかし一方で、「私は望まれて生まれてこなかった」とか「毒親に育てられましたけど」という辛辣な否定的コメントも数多く見られた。そして次にトレンド入りしたのは「#みんな望まれて生まれてきたんやで 地獄」というもの。こちらはもっとドギツイ表現で、「望まれて生まれてきたなんてあり得ない!」というアピールが繰り返されていた。果たしてこれは何を意味するのだろうか。
まず、否定派は映画そのものを非難しているのではない。そして、たとえ一瞬でもこれだけバズッた(話題になった)ということは、映画の宣伝としては成功と捉えていいだろう。だがその一方で、今まで当たり前のように思われていた「家族の愛情」というものが、決して「当たり前」と捉えられなくなってきたということも意味する。端的に言って、親により心に傷を負ってしまった人々が、本作を媒体として、「そんないい親ばかりじゃない」と、その痛みを噴出させていると捉えることができるだろう。ハートウォーミングなファミリー向けアニメであるはずが、実は人々の家族観を峻別する「リトマス試験紙」のような役割を果たしている、ということなのである。これが令和版の「家族の肖像」ということなのだろうか。
もしそうであるなら、まさに聖書が語る「人間観」の出番である。聖書は創造論を語る。単純に、そしてストレートに「神が人間を創造した」と受け止めるなら、命の与え手、そして命の送り主はきっとこう語るだろう。「みんな(わたしに)望まれて生まれてきたんやで」と。
ここに至る時、人はどんな親から生まれようと、どんな育てられ方をされようと、そう、たとえ「宗教二世」であっても、この命が確かに意味と目的を持ってこの地上に送られた(創造された)と受け止めることができるのではないだろうか。少なくとも私はそうやって己の運命を受け入れられた。
映画の中で、肉子とキクコの関係が途切れそうになるシーンがある。その時、それまでのコメディータッチの風貌とはまったく異なるキャラで描かれた肉子が、自分が知っているキクコのすべてを語り出す。そこで流れる挿入歌が秀逸である。吉田拓郎の「イメージの詩(うた)」である。映画ではこの歌を吉田拓郎自身ではなく、わずか10歳の稲垣来泉(くるみ)に歌わせている。どんなに歴史を重ねても、人の人への思いは変わらないということを、あえて年代の異なる歌い手に歌わせることでアピールしているのだろう。その指針は聖書の創造論とリンクするものである。
だから私も「みんな望まれて生まれてきたんやで」と語り続ける者でありたい。そしてそう思えない、そんなことはない、と叫ばずにはいられない人々に対し、真正面から「神の創造」を語り続けたい。そう思わされた。まさにリトマス試験紙のように、観る者の心を試す一作である。
■ 映画「漁港の肉子ちゃん」予告編
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