今夏の映画館も活況であるようだ。夏休みらしい大作感を醸し出しながらも、実は小さな男の子の成長の記録を丹念につづった、ある意味とてもプライベートな作品として仕上がっているのが、現在公開中の映画「未来のミライ」である。
子どもから大人まで、誰が見ても楽しめるファミリー・ムービーであると同時に、この設定を「教会内におけるクリスチャンの成長物語」と捉えることで、クリスチャン同士であれこれと話したくなるような作品となっている。
監督は、2006年「時をかける少女」、09年「サマーウォーズ」で一躍注目の的となり、12年「おおかみこどもの雨と雪」、15年「バケモノの子」をヒットさせたことでも有名な細田守。宮崎駿引退後、彼の後継者の一人として常に名前が挙がるアニメ監督である。
本作は、今までの細田作品の中で最も期待され、人々が待ち焦がれていた最新作といってよい。それは全国360館以上という公開館数にも表れている。そのかいあってか、12日までに興行収入は20億円を超え、動員数は128万人(5日現在)という記録を打ち立てている。夏休み後半戦がまだ半月余りあることを考えると、前作「バケモノの子」と同等かそれ以上が予想される。
では中身はどうかというと、意外に賛否両論らしい。その最大の要因は、「期待していたものと違う」というもの。つまり(私もそうだったが)多くの観客は「家族で楽しめる一大アドベンチャー」を求めていたのである。しかし見せられた作品は、いい意味でも悪い意味でも、見事に大方の期待を裏切っている。
主人公は4歳の男の子、くんちゃん。お父さんとお母さんが、赤ちゃんを連れて病院から帰宅するところから物語は始まる。くんちゃんに妹ができたのだ。ここから「お兄ちゃんあるある」のオンパレードとなる。
いくら呼んでもお母さんが自分のところに来てくれない。いつも妹ばかりをかまう親たち。携帯やタブレットで妹の動画だけを撮ろうとするおじいちゃん、おばあちゃんたち。「僕も、僕も!」とカメラに手をかざしても、結局お母さんに叱られる。そして妹を素直に好きと言えなくなっていくお兄ちゃん・・・。
こういったエピソードが前半のほとんどを占めている。言い換えれば、現在、子育て真っ最中の親たちにとっては、決して他人事と思えないことばかりである。私の場合は「ああ、こんなこともあったな」と懐かしむ世代になってしまったが・・・。
そう、本作は決して子ども向けではない。どちらかというと、子育て世代、およびその過程をすでに終えた親たちの視点で子どもの何気ない日常を描き切っている作品である。特に秀逸だったのは、未来からやってきた妹のミライちゃん(中学生くらい?)が、くんちゃんを「こちょこちょ」するシーン。ひとしきり暴れたくんちゃんは、ミライちゃんに「もう1回やって」とせがむのだ。こちょこちょされているときは、あんなに嫌がっていたのに、すぐに面白がって「もう1回」と甘えてくる。そんなくんちゃんの姿とわが子を重ねてしまう観客は、決して少なくないだろう。まさに「子育てあるある」である。こうやって子どもは少しずつ成長していくのだ。
さて、物語はミライちゃんの登場で一気に推進力を持つようになる。ミライちゃんだけではない。くんちゃんに関わる多くの人々(ペットの犬も含まれる!)が次々と現れ、不思議な体験へとくんちゃんを誘うのである。それは幼い頃のお母さんであったり、若かりし頃のひいおじいちゃんだったりする。
その度にくんちゃんは、少しずつ自分以外の世界を知っていく。そしてついに「ある成長」を形にすることができる。その場面だけを見るなら、「成長」と呼ぶことすらできない小さな変化であろう。しかし、くんちゃんの姿をずっと追ってきた私たち観客にとっては、小さくともこれは「成長」と呼んで差し支えない変化となる。ヒントは「黄色いズボン」と「青色のズボン」。あとは実際にご覧いただき、確かめてもらいたい。
一方、物語は、どうして未来からミライちゃんがやってきたり、少女時代のお母さんや若い頃のひいおじいちゃんに会えたりするのかについて、きちんとした理由が示されない。一応の「説明」がミライちゃんによってなされるが、あまりにも唐突で、決して納得できるものではない。だが、一生懸命な家族の生き様が、くんちゃんに勇気や自信を与えたことだけは分かるような作りになっている。
本作のメッセージは、自分が決して一人で生きているのではなく、周りにいる家族や自分に関わるすべての人々の生命力が伝播されることで「生かされている」ことをつかむことにある。自分に連なる大切な人々、すなわち「家族=ファミリー」が一生懸命に生きてくれたからこそ、今の自分が存在しているのだ、と実感することである。そういった実感を持つことができた者は、今度は自分の命を未来に向かって躍動させることができる。大きな意味での家族のつながりを、本作は4歳の男の子を通して訴え掛けているのである。
そういう観点で見るなら、クリスチャンとして新しく誕生した信仰者は、本作で描かれているような命の躍動を、「教会」という大きな家族の中で感じることができるといえよう。時代や場所も異なる者たちが、少なくとも週1回は文字通り「同じ屋根の下=礼拝の場(会堂)」に集まり、そこで自分に関係ある「家族=ファミリー」に起こった出来事(聖書物語)を聴く。それはアブラハムの苦悩物語であったり、ペトロの失敗談であったり、イエスの愛の行為であったりする。くんちゃんにとっての不思議な体験を、私たちにとっての聖書物語と置き換えてもいいだろう。人はどの時代にあっても、自分と関わりのある家族の物語を取り込むことで成長できるのだから。
さらに、聖書物語を真実と受け止めた者たちが、今度は自分に起こった奇跡や出来事を「証し」として語り出していく。それを新しくクリスチャンとなった者たちが聞き始める。実はこういった過程を経て、信仰者は育まれていく。
それは4歳の男の子が「家族に関する物語」を身近に体験することで成長していく様と同じである。信仰者として私たちは教会に集う者たちと「主にある家族」となる。世界的に見れば全人口の3人に1人が「家族」となり、それぞれに異なった物語が日々生み出されている。それを多く聞く者は、豊かな人生を送ることができる。
「未来のミライ」は、「家族」という普遍的なテーマをパーソナルな体験に基づいて構築した秀作である。一方クリスチャンは、キリスト教という普遍的な宗教を、「主にある家族」というパーソナルな体験に基づいて自らの中に取り入れた人々である。両者は一見何の関係もないように見えて、実は「人の成長」という一点において重なっている。くんちゃんと同じように、クリスチャンもまた自分の確かな成長を実感することができるようになる。
「未来のミライ」は、教会の映画会、特に子育て奮闘中のカップルや洗礼受けたてのクリスチャン向けの映画会などに最適な一本だといえよう。
■ 映画「未来のミライ」予告編
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