前回、イエス様は「12歳という成人前夜に、自分が神であることを顕(あら)わされた」とお伝えしましたが、ルカ福音書はその後もイエス様が神の子であることを伝えています。一つは、イエス様がヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた場面です。3章21~22節に、「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適(かな)う者』という声が、天から聞こえた」とあります。この天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえたという描写が、イエス様が神の子であることを伝えているといえると思います。
もう一つは、3章23~38節にイエス様の系図がありますが、その最後が「アダム。そして神に至る」で結ばれていることです。イエス様の系図はマタイ福音書の冒頭にもありますが、それはアブラハムから始まるものです。ルカが系図を神に至らせていることは、イエス様が神の子であることを重視しているとされています(リチャード・アラン・カルペパー著『NIB新約聖書注解4 ルカによる福音書』111ページ参照)。
このように、ルカ福音書はイエス様が神の子であることを明示して、その直後で今度はその神の子が、神の子であることを理由に、悪魔の誘惑に3度遭ったお話を伝えています。今回はその箇所である4章1~13節を読みます。
4:1 さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」 4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。5 更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。6 そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。7 だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」 8 イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」 9 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。10 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』 11 また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」 12 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
この箇所は、私の牧会する教会の教会学校に集う生徒たちが大好きなお話しです。『こどもさんびか 改訂版』には、このお話による「おなかのすいたイェスさまに」(51番)という歌があり、これも生徒たちに愛唱されています。
おなかのすいたイェスさまに あくまは言いました
「おまえが神の子なら この石をパンにしろ」
イェスさまは ゆうわくに うちかって 言いました
「人はパンだけで生きるものではありません」(『こどもさんびか 改訂版』51番「おなかのすいたイェスさまに」1節)
場面は、イエス様が40日間断食することから始まります。イエス様が40日間断食されたのは、モーセが40日間断食したことに倣ったといわれています(出エジプト34:28参照)。
イエス様が空腹を覚えられたところに悪魔が登場し、1つ目の誘惑をします。悪魔は、「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」と言い放ったのです。これは、「楽しい生活をしたらどうだ」という誘惑です。
このような誘惑は、出エジプトをしたイスラエルの民にもなされています。出エジプト記16章3節によるならば、エジプトを出たイスラエルの民は、荒れ野に入って思うように食事ができなくなると、モーセとアロンに向かって不平を述べ立てます。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている」と言ったのです。
イスラエルの民は、おいしいものを食べるという「楽しい生活をしたらどうだ」という誘惑に負けてしまったのです。しかし、イエス様は「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」と申命記の言葉を引用して、この誘惑に打ち勝たれたのです。
2つ目の誘惑として悪魔は、イエス様を高い所に引き上げて世界のすべての国々を見せました。そして、「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう」と言ったのです。つまり、「この世を支配する力を持つ救い主になれ」という誘惑を行ったのです。いわば支配欲に対する誘惑です。
しかしイエス様は、やはり申命記の言葉を引用して、「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」とお答えになりました。2度目も悪魔の誘惑に打ち勝ったのです。
悪魔は3つ目の誘惑として、イエス様をエルサレム神殿の屋根の端に立たせます。そして、またもや「神の子なら」という言葉で切り出して、「ここから飛び降りたらどうだ」と言ったのです。神殿には、礼拝をするためにたくさんの人が訪れています。「おまえが神の子なら、天使たちがおまえを支えるだろうから特別な人に見られるだろう」という、いわば「人気者になれるぞ」という誘惑です。
しかしイエス様は、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」と、やはり申命記を引用してお答えになりました。こうして、3度目も悪魔の誘惑に打ち勝ったのです。
神の子であるイエス様が、このように3度悪魔の誘惑に遭い、それに打ち勝ったということは、私たちが同じような誘惑に遭遇したとき、その私たちと共にイエス様がいてくださって、私たちもまた誘惑に打ち勝つ道に導いてくださるということではないでしょうか。(続く)
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