それでは、今回からルカ福音書を順次読んでいきましょう。最初は、洗礼者ヨハネの誕生に関する出来事です。このお話は、1章5~25節と同57~66節に分散されていますが、一部を省いて両方を一緒に掲載します。
5 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。6 二人とも神の前に正しい人で、主の掟(おきて)と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。7 しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。8 さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、9 祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。10 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。11 すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。12 ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。13 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。14 その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。15 彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、16 イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。17 彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」18 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」19 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。20 あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」21 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。22 ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。23 やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。24 その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。25 「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」
57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。58 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。59 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。60 ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。61 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、62 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。63 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。64 すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。
前回、私は、ルカ福音書のテーマを「やり直せます」と考えていることをお伝えしました。しかし、「若い時の失敗はやり直せても、年を取ったらやり直しは厳しいのではないか」と考える人もいると思います。けれどもルカ福音書の冒頭では、ザカリアとエリサベトという老夫妻の話が伝えられており、ここでもやはり「やり直せます」というメッセージを見ることができるのです。
男女のペアで記されたルカ福音書
ルカ福音書の特徴の一つは、男女がペアになっているものが多いことです。例えば、2章25~35節には男性の老預言者シメオンの話が載せられていますが、その直後には、女性の老預言者アンナの話があります。つまり男女のペアの話です。19章1~10節には徴税人ザアカイの話があり、ザアカイはイエス様から「この人もアブラハムの子(息子)なのだから」と呼ばれています。一方、13章10~17節には、イエス様から「アブラハムの娘」と呼ばれた、腰を治してもらった婦人の話があります。ザアカイと腰を治してもらった婦人の話は、離れた箇所にありますが、男女のペアの話です。
15章1~7節には、失った一匹の羊を探し出した羊飼い(通常は男性)の話がありますが、その直後の8~10節には、失った銀貨を探し出した女性の話があります。これも男女のペアです。ルカ福音書は、「男性中心」で話が進まないのです。今回の話も、男性であるザカリアだけを中心にしているのではなく、ザカリアとその妻エリサベトが「共演」しているところに興味深さがあります。
不妊の女の意味
7節によりますと、エリサベトは不妊の女であったようです。聖書の時代、女性が不妊であることは恥であったようです。創世記の族長ヤコブの放浪の話の中で、30章21~24節に以下のようなものがあります。
21 その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名付けた。22 しかし、神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、23 ラケルは身ごもって男の子を産んだ。そのときラケルは、「神がわたしの恥をすすいでくださった」と言った。24 彼女は、「主がわたしにもう一人男の子を加えてくださいますように(ヨセフ)」と願っていたので、その子をヨセフと名付けた。
ヤコブは、姉妹であるレアとラケルを妻としていましたが、妹のラケルは不妊であったのです。23節に「神がわたしの恥をすすいでくださった」とありますように、不妊は当時、恥と見なされていたのです。
エリサベトの再出発
エリサベトも、当時の社会においては恥を感じながら生きていたのでしょう。けれども、祭司である夫ザカリアが神殿で務めをしていたときに、天使ガブリエルが現れて「エリサベトは男の子を産む」と、彼に伝えたのです。エリサベトは身ごもり、ラケルと同じように「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」と言ったのです。
エリサベトはこのようにして、社会の中で新たな出発をしたのです。女性が不妊であることを恥とする文化を良しとは思いませんが、ルカが伝えたかったのは、エリサベトにとっての再出発の出来事であったと思います。このように見ますと、エリサベトの話も、私が考えるルカ福音書のテーマ「やり直せます」に合致すると思うのです。
ザカリアの再出発
一方、夫ザカリアは、天使ガブリエルの告知に対して、「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」と反論的な答えをしました。ガブリエルはそれに対して、「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」と告げ、実際にそのようになり、子どもが産まれ、8日目に命名するときまで続きます。
このザカリアの現象は、現代においては失語症といえるでしょう。実は私も失語症を経験したことがあります。随分前のことですが、ある夜、教会の信徒の方と電話で話していたら、突然に声が出なくなってしまったのです。相手の方には失礼だと承知ながらも、受話器を置かざるを得ませんでした。脳卒中かと思い、近くの交番に行き、筆談で警察官に救急車を呼んでいただき、病院に行きました。検査の結果、脳に異常はなく、ストレスが原因であることが判明して、間もなく声も出るようになりました。
ザカリアのこのお話を読みますと、どうもその時の自分と重ねてしまいます。口が利けなくなったときはとても不安になりましたが、病院で声が出せるようになったときは心から安堵(あんど)したことを覚えています。「またやっていける」と思ったものです。
ザカリアは子どもが産まれたあと、8日目の命名時に、筆談で「この子の名はヨハネ」と人々に伝えると、再び口が利けるようになります。口が利けないことは決して悪いことではありませんが、私はこれをザカリアの再出発の出来事であったと考えています。つまりこれは、彼にとって「やり直せます」という出来事だったのです。
冒頭で述べましたように、「若い時の失敗はやり直せても、年を取ったらやり直しは厳しいのではないか」と考えてしまうかもしれません。しかし、ルカ福音書が伝える最初の出来事は、老夫妻の再出発の話なのです。神様は私たちにやり直しのチャンスを与えてくださいます。そしてそれは、年齢にかかわらず与えられるものなのだと、ザカリアとエリサベトの話を読むと思うのです。(続く)
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