年に何本か、ストーリーについてまったく触れてはいけない「ネタバレ厳禁」映画と出会うことがある。この手の作品は、評することに気を遣う。なぜなら、こちらの意図しない情報開示が、実は相手にとってはネタバレと思われてしまうからである。しかしそういった作品に出会ったとき、シネマ牧師(自称)としては、どうしてもストーリーを言いたくなってしまう。「王様の耳はロバの耳」状態となってしまうのだ。
本作「アンテベラム」は、まさにそんなネタバレ厳禁の一作である。プロデューサーは「ゲット・アウト」「アス」という人種差別問題を扱ったスリラーで好評を博しているジョーダン・ピール。両作品は、自らの黒人としてのアイデンティティーを色濃く反映させているため、一昔前では絶対に劇場公開できなかったであろうが、現代においてピールは希代のヒットメイカーの一人に数えられている。そのピールがプロデュースしているのだから、一筋縄でいかないことは先刻承知。しかし、本作には両作品の上を行く「エグさ」がある。ヒントとしては、M・ナイト・シャマラン監督のようなトリッキーな仕掛けが後半にさく裂することである。(ああ!これ以上は言いたくても言えない!)
本作のタイトルにもなっている「アンテベラム」とは、一般的に「南北戦争前(の時代)」を意味する。つまり1860年代以前の米国のことである。当時は米国に「奴隷」が存在した。ほとんどが黒人で、そのルーツはアフリカから秘密裏に捕獲された人々である。ご存じの通り、時の大統領エイブラハム・リンカーンが1862年に奴隷解放宣言を発布し、その後、奴隷制に反対していた北軍が、奴隷制維持を主張していた南軍を打ち破ることで、この宣言が実質的な効果を発揮することになった。これによって黒人たちは「自由」を得たことになる。
しかし、彼らを待ち受けていたのは、奴隷時代以上に過酷な「現実」であった。自由以外は何も与えられず、一時は北部諸州の「南部再建計画」によって一定の地位向上を得たが、やがて南部諸州の手練手管による「法的整備」によって、結果的に「奴隷的な状態」に長い間据え置かれてしまうこととなる。そして、奴隷解放宣言から約1世紀後に公民権法が制定され、公民権運動の成果としてやっと一部の黒人たちが「米国民」としての実質的な権利を手にするようになる。
それから半世紀余りがたった現代、人種差別やジェンダー的な差異をなくそうというポリティカル・コレクトネスの浸透により、映画の主人公ヴェロニカは、ベストセラー作家として裕福な生活を享受していた。一方、アンテベラム時代に彼女と同じ風貌の女性が存在した。彼女はヴェロニカとは異なり、奴隷制にしばられた過酷な生活を強いられていた。この両女性の生き様が、ある時点で一つに交わることになる。そこで観る者に示された俯瞰(ふかん)的な世界観を知るとき、私たちは本作が本当に訴えたかったテーマを目の当たりにすることになる――。(これ以上はネタバレ)
本作が提示する最大のメッセージは、原理主義的な生き方への批判である。私たちも多くの場合、「こうでなければならない」という強いベクトルを土台として生きている。しかし、そのベクトルが時代の趨勢(すうせい)に合わないことや、時には聖書の現代的な解釈にそぐわないことも多々ある。その時、「そのまま理解する」という名の下に、実は前近代的な文化風習によって生み出された思想や世界観を「当たり前」と捉えてしまう危険性がある。そして現実が自分の「当たり前」と異なる方向へ動いていることを認識すると、それを見ないようにしたり、確たる事実を否定するために原理主義的な世界観に閉じこもろうとしたりしてしまう。これらは特に、聖書を神の言葉と受け止めることで一致を保っている「キリスト教保守層」に多く見られる傾向である。
ピールは、このような原理主義的な在り方に対し、見事に一石を投じている。特に人種問題という米国の宿痾(しゅくあ)に対し歪んだ思想を持っている人ほど、己が描く直線(実際は歪んでいる)が「まっすぐ」に見えるかをアイロニカルに提示して見せるのである。
現在、本作を上映している劇場は少なくなってきているだろう。そのため、本稿を読んで興味を持たれた人の多くは、この後発売されるであろうDVDやストリーミングサービスで鑑賞することになるだろう。その際はぜひ、イッキ見をお薦めする。劇場なら始まったら終わるまで止めることはできないが、自宅鑑賞の最大の難点は、勝手に自分で止められることにある。本作に限ってこれはよくない。これをされると、せっかくの「ネタ」が効果半減である。
1時間46分という、比較的鑑賞しやすい上映時間であるため、どうか部屋を少し暗くして(その方が恐怖をリアルに感じられる)、できることなら一人で鑑賞してもらいたい。恐らく「あのシーン」で声を上げることになるだろうから、その快感をぜひお一人で堪能してもらいたい。
■ 映画「アンテベラム」予告編
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