前回は、「赤い原罪」という韓国映画を取り上げた。モノクロの102分という、どちらかといえばあまり一般受けしない映画であった。今回取り上げるのは、日本の名優たちが共演する社会派エンタメドラマ「護(まも)られなかった者たちへ」である。
主演は佐藤健。佐藤は「るろうに剣心」シリーズで緋村剣心を演じ、卓越した身体能力を披露し、言わずと知れた現在最も旬な男優である。今回は連続殺人事件の容疑者として、感情をモロに表現する青年・利根泰久を熱く演じている。共演する阿部寛は、「新参者」シリーズで演じた加賀恭一郎刑事がさらにやさぐれてしまったような風貌で、事件を追う笘篠(とましの)誠一郎刑事を演じている。さらに、朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」で主演を務める清原果耶、もはや子役出身とは言わせない吉岡秀隆、そして個人的には父親を越えたと思っている緒方直人らが花を添える。
原作は中山七里。彼は一部熱烈なファンからは、「どんでん返しの中山」とあがめられているという。私も原作を読んだが、確かに見事な「返し」にびっくりさせられ、そして映画、原作共に同じタイトルとなっている「護られなかった者たちへ」の意味が明かされるラスト数ページは号泣してしまった。
今回、原作と映画を切り分け、後者についてひもといてみたい。原作が生活保護制度の闇を大きくクローズアップしているのに対し、映画は生活保護制度を柱としながらも、東日本大震災から10年という、その後の人々の生活をもう一つの柱としていることが特徴である。
震災から10年目の仙台で突如発生した連続殺人事件。その被害者2人は、共に拘束された状態のまま「餓死」させられていた。彼らは共に保健福祉センターに勤務する公務員で、誰もが慕う人格者だった。実際に警察が捜査してみても、彼らに「裏の顔」などなく、善良な一市民として堅実な人生を生きる市井の人としての情報以外は上がってこない。そんな彼らがどうしてこんな無残な方法で殺されなければならなかったのか。捜査の過程で、一人の容疑者が浮かび上がってくる。被害者2人はかつて同じ保健福祉センターに勤務していたことがあり、その時に生活保護申請をめぐるトラブルに巻き込まれ、利根(佐藤健)という青年から一方的に恨みを買っていたのだ。指名手配される利根。彼はなぜこんな非道な行為に及んだのか。笘篠刑事(阿部寛)は、常軌を逸したかのように見える利根の言動の裏に、まだ明らかになっていない「もう一つの真実」があるのではないか、と思い始めるのだが――。
原作が推理小説であるため、「フーダニット(誰が犯人か)」と「ホワイダニット(動機は何か)」に焦点を絞って物語が展開するのに対し、映画ではその冒頭から「震災」が描かれていく。10年前のあの日(3月11日)、東北地方で生活していた彼らに何が起こっていたのか。そこには、10年後に生まれる利害関係などなかった。刑事も容疑者も被害者もなく、皆が「被災者」であったあの時、彼らは何を考え、どう行動し、そして10年かけてどんな人生を歩んできたのか、また歩まざるを得なかったのか。その人間模様を、時間軸を交差させることによって見事に描き出している。笘篠刑事は家族を震災で失い、容疑者の利根もまた、仕事や生活すべてを津波に押し流されてしまった。
この10年の積み重ねの上に事件は発生している。決して突発的な衝動にかられた事件ではなく、震災という究極の不条理の中でこそ感じられる「さらなる不条理」「究極の矛盾」が噴出し、事件が発生したのだった。
原作とは若干異なり、映画では生活保護制度がさらに変貌している。それは原作が上梓されたのが2018年であり、映画はさらにその3年後に生まれていることから、この3年の間に生活保護制度にも変化がもたらされたということである。
そのバージョンアップのためなのか、一部のキャラに大きな改変が行われている。結果、本来のミステリー的要素が薄れた代わりに、社会派ドラマとしての警鐘的側面が大きくクローズアップされているといえよう。救済を目的として生まれた制度・組織は、本当に助けを必要としている目の前の一人と向き合うことができるか、という問いである。これは、聖書の「一匹の羊に目を留めよ」というイエスの例え話に通じるメッセージ性を帯びて、観る者の心に突き刺さってくる。
あなたがたの中に、100匹の羊を持っている人がいて、その1匹を見失ったとすれば、99匹を野原に残して、見失った1匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。(ルカ15:4)
本作が訴えるメッセージもこれである。本来、目の前の一人を救済するべく生み出された生活保護制度が、利用する側の悪用と経済の斜陽化によってその本筋を離れ、悪用されたり乱用されたりしている。それを正す目的で、「原理原則に立ち返る」ことが見直された。だが、果たしてこれは本当に「失われた一匹」を見つけ出すことになるのか。言い換えれば、日本国憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を提供することになるのか。
実は、こうした社会問題と聖書のメッセージは、アプローチの仕方こそ違え、同じことを訴えているように思える。
本作をぜひ、将来公務員になりたいと願う若者たちに鑑賞してもらいたい。そして牧師になろうと志す、稀有(けう)な(?)神学生たちにも。きっと鑑賞後、同じ思いを抱く者たちと語りたくなるに違いない。コロナ禍とはいえ、過ごしやすい秋にこそ皆で鑑賞すべき一作である。
■ 映画「護られなかった者たちへ」予告編
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