単立・炎リバイバル教会(東京都足立区)が19日、国内外でキリストの弟子と教会を生み出す働きを展開しているチャーチ・オン・ザ・ロック・ミニストリーの大東利章牧師を招いて特別集会を開いた。大東牧師は、イザヤ書30章19節「ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる」を引用し、「主はあなたの涙に、あなたのうめきに、あなたの叫びに答えてくださいます」と福音のメッセージを力強く語った。
無神論者で、引きこもりと自殺未遂を繰り返していた大東牧師は、キリストの福音に出会い、人生が180度変えられた。「人生の中で一番暗闇の中を歩んでいました。自分なんか生きている価値がないと思っていました。そんな時に、クリスチャンの友人が教会の礼拝に連れていってくれたのです」
すぐに信仰を持つことはできなかったが、神と呼ばれる、人を超越した霊的な存在がいることは分かったという。しかし、自分とイエスとの間にどんな関係があるかは分からなかった。「罪責感はある。神様がいるということも分かった。天国があることも、地獄があることも分かった。このままでは、自分の行き先は地獄しかない。そう分かっているにもかかわらず、イエス様と自分との関係が分からないのです。本当に苦しかったです。そして、何度か自殺を試みました」
遺書を用意し、ナイフを手に持ってまさに命を絶とうとしていたその時、クリスチャンの友人が部屋に飛び込んできた。「友人は僕の救いのために祈ってくれていました。その時に神様から、命の危機が迫っていると啓示を与えられたのです。それで友人は僕を捜して、部屋に飛び込んできたのです」
命は救われたものの、苦しみはその後も続いた。ある日、その苦しみに耐えられず、聖書を壁に投げつけて八つ当たりし、足で踏みつけた。すると、急に体の力が抜けていき、その場にしゃがみ込んでしまったという。そして、理由は分からなかったが、涙が込み上げてきた。
「神様に対して完全に降参したのです。自分の努力では、自分の意思では、自分の知性では、イエス様を信じることはできませんでした。本当に泣けてしょうがなかったのです。それで、わらにもすがる思いで、どうか私を救ってください、私に信じる心を与えてくださいと祈りました。その瞬間から、何かが起こりました。その時は分かりませんでしたが、自分のうちに何かが起こったのです。その瞬間から、主が僕の前を歩んでくださったのです」
自分が踏みつけた聖書を拾い上げると、ちょうどイエスの十字架の場面が開いていた。「父よ。彼らをお赦(ゆる)しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです」。この言葉が、大東牧師の心を刺し通した。「イエス様は十字架の上で、こんな無神論者だった僕のために自分の命を犠牲にしてまで祈ってくださったのです。その瞬間に分かったのです。イエス様の十字架は、自分のためであったこと、イエス様が自分の救い主であったこと、こんな無神論者の僕を愛してくれて、命まで捨ててくださったこと、それがイエス様の十字架であったことが分かったのです」
大東牧師は、「主はあなたの涙を知っておられます」と会衆を励ました。「あなたの叫ぶ声、声にならない声、心の中にあるうめきでさえも、主は聞いてくださっています。そして、答えてくださるのです。それが私たちの唯一の神様です。これこそ、福音なのです」と強調した。
次に、21節「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」を引用し、「イエス様はあなたに語ってくださいます」と話した。
「僕たちは、右に左にそれそうになることがあります。その時に、あなたは羊飼いの声を聞くのです。あなたのために、義の道をまっすぐに歩むことができるように、主はご自分の権威をもって、愛に満ちた声であなたに語ってくださるのです。ある時は聖書を開いているときに、ある時はメッセージを聞いているときに、ある時は夢の中で、ある時は超自然的な方法で、今日も主はあなたに語ってくださいます。そのことを今日信じてください」
さらに、26節「主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍になって、七つの日の光のようになる」を引用。イエスの十字架によって神との分断された関係を回復した者は、記憶の傷や心の傷が回復する内側の癒やしとともに、病から回復する肉体の癒やしを受け取ることができると強調した。
大東牧師は、アジアのある貧しい地域の病院で、農薬を飲んで自殺を図り、3日間意識が戻らない女性のために祈ったときの体験を語った。その病院はクリスチャンの医師が運営しており、道端で誰にも看取られないで死んでいく貧しい人のための部屋を用意していた。女性はその部屋に人工呼吸器を付けて寝かされていた。その部屋は、多くの人が待っているため、医療処置が必要な場合、3日たっても意識が戻らなければ医療処置をやめなければいけないという決まりがあった。大東牧師が女性の元を訪れたのは、このまま意識が戻らなければ人工呼吸器が外される、まさにその日だった。
医師からは、病院としてこれ以上の治療はできず、遺体として処理をするため、最後に女性のために祈ってほしいと頼まれた。女性の意識はなく、手はベッドから垂れ下がり、目も口も開いていた。大東牧師は女性の上に手を置いて、こう祈った。「イエス・キリストの御名によって、彼女の意識よ、戻りなさい。イエス・キリストの御名によって、生きなさい。癒やされなさい」
しばらく、沈黙が続いた。医師が女性の顔をのぞき込んだ。意識が戻る気配はなく、何も起こっているようには見えなかった。何を思ったのか、医師は女性の肩に手を置いて、一言「マダム」と声を掛けた。すると次の瞬間、女性は突然起き上がり、意識を取り戻したのだ。部屋中が騒然となる中、女性は自分の手で人工呼吸器を取り外し、歩いて帰っていった。
大東牧師は、「疑わないでください。イエス様はあなたを招いておられます。イエス様はあなたを愛しておられます。あなたのためにもイエス様は十字架にかかってくださったのです。ですから今日、あなたのためにも良いものが用意されています。信じて受け取りましょう」と話し、会衆のために主の癒やしを祈った。
集会の後半では、大東牧師が一人一人のために病の癒やしを祈り、多くの参加者が癒やしの奇跡を体験した。左足が痛みで上がらず、会場まで杖をついて来たという女性は、祈りの中で痛みが完全に取れ、左足を自由に動かせるようになったことを会衆の前で喜びながら証言した。