1. 東京オリンピック開催
1年延期された東京オリンピックが、さまざまな批判と困難を乗り越えて、ついに開催された。日本は国際社会に対して開催国としての責任を立派に果たし、日本人選手たちの目覚ましい活躍により、中国、米国に次ぐ、第3位のメダル獲得国になった。日本勢の中では、10代の世代、女性、自衛官のアスリートたちの活躍が際立った。
長期にわたるコロナ禍、中国による事実上の日本侵略、韓国との歴史問題によるあつれきなど、社会、経済、政治の全般が混とんとしている中で、オリンピックにより閉塞感が打ち破られて、日本の民族意識が非常に高まるとともに、国際社会における日本人としての自信を回復できたことが最大の成果であると思う。
卓球混合ダブルスの水谷隼・伊藤美誠チームが世界最強の中国チームを打ち破り金メダルを獲得した試合が、個人的には一番印象に残った。特に、試合後に大量の誹謗中傷脅迫メールが水谷選手に送られているが、「ボクはそんな脅しは1ミリも怖くない」と言い切った。日本人として真に尊敬に値する人物である。
そのベースには、幼少の頃から国内外の数多くの試合に出場し、さまざまな困難を克服して勝ち抜いてきた履歴がある。
足を骨折したり、外国選手による不正ラバー使用問題に抗議し1年半も国際試合出場を拒否したこともある。また、「実は、この1年、球が見えないんです」。5年も前から目が見えにくくなってきたが、試合中に照明その他の問題で球がまったく視界から消えてしまう瞬間がある。それでは試合にならない。やむを得ず、サングラスを着用しているが、それでも十分ではない。にもかかわらず、東京オリンピックでゴールドメダリストとして輝いた。
「どうやったら卓球強くなりますか?」というSNSの質問に対して、「1万時間練習してから質問しに来てください」と回答して話題になっている。要するに、チャンピオンになる近道はないのだ。毎日の地道な訓練の積み重ねが、勝利を生み出すのである。
2. 賞を得るように走る
ある意味で人生は競争である。生まれてから死ぬまで続くロングレースである。しかし、時がたてば金メダルは色あせてくる。チャンピオンも年老いて忘れられていく。それらは「朽ちる冠」である。
クリスチャンにとっても競争がある。この世の競争ではなく、神の国の競争である。人との競争ではなく、自分との競争である。自分に与えられた神の使命をどこまで全うするかの競争である。
聖書には「賞を得るように走りなさい」と書かれている。神の賞与は、永遠に「朽ちない義の冠」である。横道に逸れないように、後戻りしないように、目標を目指して前に向かって全力で走り続けるのである。
「あなたがたも、賞を得るように走りなさい。しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである」(1コリント9:24、25)
「後ろのものを忘れ、前のものに向かって、目標を目指して走り、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞与を得ようと努めているのである」(ピリピ3:13、14)
「わたしは戦いを立派に戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守り通した。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」(2テモテ4:7、8)
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