1. 人に委ねる
「お話を聞いていただいた日の夜から、数カ月ぶりにぐっすり眠れました。本当にありがとうございました」。このようなお礼のメールを、対人関係の大きな悩みを抱えて相談に来られた方から頂いた。「怖くて眠れません」「不安にうなされて、何度も目が覚めてしまいます」と、その方は訴えていた。
相手から電話がきても嫌な気持ちになり受話器を取ることができない。メールが届いても心臓がどきどきして見ることができない。手紙をもらっても手が震えて開封することができない。一人で問題を抱え込んでいると、悩みが大きくなってしまい、それに押しつぶされそうになる。不安と緊張で睡眠不足になり、物事に集中できなく、いつもイライラしている。家族や他の人たちとの関係もギスギスしてくる。こうして気持ちが落ち込み、精神的にも肉体的にも病んでくる。
そんな時はまず、電話とメールを着信拒否に設定して受けないこと、そして手紙は私が未開封のままで預かり、後で開封してその要旨を伝えることを提案している。「悩みごとをすべて神様に委ねましょう。相手の方との応対はすべて私がしますから、任せて安心してください」と助言した。
しばらくして「とても気分が良くなりました」「なんとかできるような力が湧いてきました」という連絡を頂いた。問題や悩みごとは多くの場合、誰かに話を聞いてもらったり、専門家に解決を任せてしまうと、その重圧感から解放されて自由に判断し行動できるようになる。
2. 神に委ねる
ところが、「私に任せてください」と言って人様の問題を引き受けても、実際にそれを解決することは必ずしも容易ではない。問題によってはこじれてしまい、その重圧で今度は私が押しつぶされそうになる。誰にも助けを求められない立場にいる弁護士としては、神にのみ寄り頼まざるを得ないことが多い。おかげで、神に委ねる習慣が身に付いてきた。神に委ねる最大のメリットは、不安や恐れから解放され、キリストの平安に支配されることである。
それでは、神に委ねるにはどうしたらよいのか。問題を神に委ねたつもりでも、すぐに疑いが出てきて、自分で解決しようともがいてしまう。神に委ねるとは、望んでいる事柄を確信し続け、まだ見ていない事実を確認し続けることである(へブル11:1)。せっかく神に委ねても、委ね切ることができずに神を疑うなら、願った物事を頂くこともできない(ヤコブ1:7)。
ある時、組織暴力団の武闘派グループから追われて逃げてきた方の弁護をした。弁護士はいざとなると、まったく一人ぼっちである。警察が常時見張って守ってくれるわけではない。暴力団相手の紛争を引き受けて殺された親しい弁護士もいる。自分だけでなく、家族も狙われる。
ずいぶん迷ったが、その事件を引き受けた。神に問題を委ねて、祈りに祈り、神の指示を仰いだ。数週間後、その武闘派グループが仲間割れして暴力事件を起こし警察沙汰に発展した。「今だ!」と思い、「今後はA氏に一切近づかないことを約束せよ。A氏の要求する慰謝料を払え」という強気の内容証明郵便を送った。すぐに約束の文書が届き、高額の慰謝料が支払われた。
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37:5)
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神はあなたがたのことを心配してくださるからです」(1ペテロ5:7)
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